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日本語教師こぼれ話

冬の遠足

 冬の遠足がありました。行き先は東京ディズニーシー。一度も行ったことがない場所で何もわからなかったので、当日の園内での行動はすべて学生に任せ、後ろからついて行きました。絶叫するアトラクションが好きな学生、それが嫌いな学生と分かれたので、絶叫系は他の先生にお任せし、私は後者について行きました。アトラクションに乗るまでの間学生たちと話していましたが、こんなに喋る学生達だったのかと改めて気づきました。
 文型を学び小難しい文章を読まされる学生たちにとって授業がストレスになっているのかなと思ったり、無邪気に楽しむ姿を見ていて若者らしさや純粋さを感じたりと、教室ではあまり見ることができない姿に驚きました。同時に、自分は教室で学生たちに何を教えていたのだろうかと考えさせられ、恥ずかしくも感じました。
 大きな熊のぬいぐるみを買った男子学生がいたので、「誰に買ったの?」と聞くと「友達です」。すかさず「彼女?」と聞くと「いえ、男の友達です」。彼らの厚い友情を感じました。
 自分もせっかく来たのだからと思い、記念になるものを探したのですが、結局、かの学生と同じ熊のぬいぐるみで一番小さい物を買いました。誰の手に渡ることなく、いま自宅のカウンターに鎮座しています。(阪上)
 

『おせち料理は甘くて冷たい』

 1月6日が今年最初の授業でした。2週間ほどの冬休みの間、日本では大晦日と新年を迎え、私はまだお正月気分が抜けないままでしたが、「学生のみんなは何をしていただろう?」と会うのが楽しみでした。
 年末年始にしていたことを話してもらうと、年越しそばを食べた、紅白歌合戦を見た、初詣に行った、おせち料理を食べた、など日本のお正月らしいことをしていました。紅白や初詣なら外国人でもできそうなことですが、家庭で食べるおせち料理をどうやって食べたのだろう?と少々驚きました。
 ある学生は、日本人の知り合いの家に招待され、三段重のおせち料理をいただいたそうです。私でも食べたことがない本格的なおせち料理を羨ましく思っていると、「どれも冷たくてあまりおいしくなかった」との感想。確かに、おせち料理の品々は冷たいものです。また、ある学生はスーパーの夕方特売半額500円で買ったそうです。そんなのあるんだあ…と思っていると、「甘すぎて、全部は食べられなかった」との感想。ああ、確かに、お多福豆や田作り、伊達巻、金団など甘いものが多いです。でも、それがお正月らしいと私は感じるのですが、外国人の学生にとっては、冷たくて、甘い料理にはあまりおいしさを感じられないようです。
 おせち料理はおめでたいものだと、縁起のよさしか感じていませんでしたが、学生の冷静な感想を聞いて、おせち料理の“味”を再認識しました。(小川 治子)

『卒業を控え…』

 2月も下旬に入り、卒業まで1か月あまりとなったある日、大学院進学が決まった学生とこれまでの日本語学校での生活を振り返っていると、「私が書いた研究計画書は、1年前に私が考えていたものとは全く違うものです。」と言われました。どういう意味なんだろうと、その意図を確認してみると、「1年前は、大学院に進学して、国で学んだことを続けようと思っていただけだった。今思えば、専門知識も足りていなかったし、研究するということについて深く考えていなかった。でも、いろいろ勉強して考えて、1年前の私には想像できないものが書けた。」ということでした。
 この学生は非常に真面目で、何度も何度も大学院進学について話し合いを重ねてきた学生です。入学当初を思えば、日本語も上達しています。でも、彼の話を聞いた時、彼の成長は日本語だけではないことに気づかされました。彼の成長にはただ勉強をして知識を得たということだけではなく、深く考えるといった、人としての成長も含まれているのではないかと思います。
 学生本人の努力あっての成長ですが、日本語教師として少しでも彼の役に立てていれば嬉しいなと思いつつ、またこれから自分自身も頑張っていこうと思えた出来事でした。(水野)

『入学式を終えて』

 4月の初旬に今年度の入学式がありました。新入生が入学し、今学校の中はフレッシュな雰囲気で満ちています。
 学校では、新入生が入学するときには、勉強するクラスを決めたり、学習者の情報を得たりするために、必ずレベルチェックテストやインタビューを行っています。インタビューを行っていて、最近気が付くのは、独学で日本語を学んで来る学習者の存在です。
 今までも独学の学生はいましたが、最近では、母国にいながらにしてインターネットで日本語を学び、日本の最近のドラマやアニメ番組も見ています。さらに、日本人とチャットで会話練習をしていたような学習者もいます。
 今はこのような学習者はまだまだごくわずかです。しかし、今後このように母国でも自分で日本語学習ができたり、生の日本語に触れられたりできる手段がますます増えていくと思います。そうすると、日本語学校のクラスでは何を教えるのが学習者のニーズに合っているのか考えなければならないと思います。日本でなければ、日本語学校でなければ学べないこと、何が学習者にとって意味のあることなのか、考えていく必要があると感じています。(本多)

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