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日本語の美しさ1

第1回 言葉の輸出入1

日本語教師という仕事は、東アジア諸国、特に中国・韓国との関係を抜きにしては語れません。

就学生及び留学生の60%以上が中国人であり、日本以外で日本語学習者の数が最も多い国は韓国です。 この2カ国は、日本にとって本来一衣帯水の国でありながら、近代の不幸な歴史もあり実際は近くて遠い国となっています。

日本語教師が日本語教育の実践の場において学生との真の信頼関係を築くには、日本と両国とに係わる歴史・文化等についての知識と理解が必須です。

日本語教師として知っておくべき事柄と、直面する問題などを考えます。(こ)

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第2回 言葉の輸出入2

しかし、特徴的なのは明治期です。この時代は近代国家体制が整備された時期で、欧米文化に触れ、それを摂取するために、新たな言葉が必要でした。 現代と異なるのは、外国語をそのまま取り入れるのではなく、訳語として取り入れたことです。

そのため、新たな漢語が大幅に増えました。「現代・社会・生活・鉄道・会社・運動・電話」などがその例です。 このように、日本で作られた漢語を和製漢語と呼ぶこともあります。 「和製漢語」にも、完全に日本で作られたものと、もともと言葉としては中国にあったものに違う意味を持たせたものとがあります。 例えば、「演説」という言葉は福沢諭吉が作ったとされています。

しかし、それより前、確かに仏教用語としての「演説」――仏教の教理を、誰にもわかるように説いて聞かせる――は、あったのです。 しかし、それとは無関係に speechの訳として福沢諭吉は「演説」という言葉を作ったのです。 人によっては、このように意味が違っても言葉が存在していたものは「和製漢語」とは呼ばないと考えているようですが、 要は、中国から入ってきた漢語に似せて、漢字の意味を組み合わせて新たな言葉が大量に作られたという事実があったということです。 このような和製漢語が、漢字文化圏である中国、韓国でも用いられるという現象も起こりました。 「理想・必要・冷蔵」などは、発音こそ現地のものが使われていますが、日本でも中国でも韓国でも使われている言葉です。

このように、言葉は輸出や輸入を経て、その言語の中で必要とされるものだけが生き残ってきたという歴史があるわけです。 現代のカタカナ語も、私達の日本語に必要なものだけが、使われていくのでしょう。(こ)

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第3回 お茶が入りました1

誰かにお茶を出すときに、「お茶が入りました」という言い方をしますが、 「お茶を入れました」と、「お茶が入りました」では、どう違うのでしょうか。

「お茶を入れました」と言うと、聞き手は、「誰それがお茶を入れました」というように主語を補って考えてしまいます。 お茶を入れるという動作をした人(動作主)自身が、「お茶を入れました」と言うと、 聞き手は、動作主本人を主語の部分に当てはめて考えることになるので、聞き手は恩着せがましい言い方だと受け取ってしまいます。

その点、「お茶が入りました」と言えば、動作主に言及しなくても文として違和感がないので、お茶を入れた動作主は当然いるわけですが、 お茶が飲める状態になったという事実の方がクローズアップされ、お茶を入れた動作主は、すーっと後ろの方へ背景化されることになります。(に)

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第4回 お茶が入りました 2

昨年、山崎豊子原作『白い巨塔』のテレビドラマが25年ぶりにリメイクされ、話題になりましたが、 1978年から79年にかけて放映されたときには、里見助教授の妻が、書斎の夫にお茶を運んでくるシーンがあり、このセリフが語られていました。 しかし、最近のテレビドラマは12回をひとつの単位にしていますから、ストーリー展開が早く、 「お茶が入りました」というセリフが出てくるようなシーンは滅多に見られなくなりました。

最近亡くなられた金田一春彦先生も、その著書『日本語新版(下)』の中で言及されていますが、 「お茶が入りました」の他に、「夕飯ができました」「お風呂がわきました」といった言い方も、同じように動作主を目立たせない表現です。 「わたしが」「わたしが」と言わない、控えめな優しさを感じさせる美しい表現だと思いませんか。(に)

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第5回 オノマトペ 1

梅雨ですね。毎日雨が降って、嫌になりますが、日本語には雨の様子を表す言葉がたくさんあるのをご存知ですか。 「ざあざあ」「しとしと」「ぽつぽつ」・・・。

このように、音や声をまねた言葉を擬声語(擬音語)といいます。「ワンワン」「ピヨピヨ」「モーモー」といった動物の鳴き声や、 「げらげら」「くすくす」「えーんえーん」「しくしく」といった人の笑い声や泣き声なども擬声語です。 一方、「ふわふわ」「つるつる」「にこにこ」「いらいら」といった状態や身振りなどを表す言葉を擬態語といい、 これらをまとめてオノマトペと呼びます。

オノマトペはその様子を一言で簡潔に言い表せますし、何よりも聞いた人がイメージしやすいことから、 テレビCMや広告のキャッチコピーなどによく使われます。みなさんもよく耳にするオノマトペがあるのではないでしょうか。(イ)

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第6回 オノマトペ2

オノマトペは日本語だけのものではなく、いろいろな言語に存在します。 例えば、犬の鳴き声ひとつとっても、日本では「ワンワン」吠えますが、英語圏では「bowwow(バウワウ)」、 韓国では「モンモン」と吠えるそうです。

同じ犬でも、聞く人によってこうも違うものかとびっくりしますが、その言語に育った人間にはそれぞれのオノマトペが一番しっくりするのでしょう。 逆にいえば、ある言語のオノマトペが少しでも実感できるようになったら、その言語を本当に理解できたと言えるのかもしれません。

ただ、日本語ほど数が多く、バラエティ豊かなオノマトペを持つ言語は少ないと言われています。そう考えると、日本語を学ぶ学習者は大変ですね。(イ)

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第7回 オノマトペ3

次のオノマトペを聞いて、皆さんは何をイメージしますか。

「しんしんと雪が降る」、雪国の真っ白で静かな景色が思い浮かびませんか。 「彼にめろめろなの」、ハート型の目をした、幸せそうな女性の表情がイメージできます。 そういえば、最近は「はらはらと涙を流す」「しゃなりしゃなり歩く」女性を見かけなくなりました。 「すっきりとした飲み口」のビール、「ぽかぽか陽気」の春の日差し・・・。 これらのように、どんな様子かを詳しく説明しなくとも、オノマトペ一つ使えば、その場にいるかのように映像や感覚が浮かんできます。 私はオノマトペに触れるたび、日本語はイメージを大切にする美しい言語だなと感じます。

ところで、最近、新しいオノマトペを耳にすることも多いです。例えば、「さくさくっとやる」。 私自身は使いませんが、何となく、今の若者の器用さを表す言葉だと思います。 力を入れすぎず、時間をかけず、物事を片付ける・・・、いかがでしょうか。 うーん、やはりオノマトペを説明するのは難しいですね。みなさんは何をイメージしますか?(イ)

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第8回 掛詞(かけことば)1

『百人一首』や『古今和歌集』という名前は知っていても、古典文法がわからないから和歌は苦手という方もいらっしゃるのではないでしょうか。 確かに文法も大切ですが、和歌に使われている表現のルールを少し知っておくと、単に難しいものではなく、修辞法を駆使した面白いものに感じられます。 次の和歌を見てください。

「つれつれの なかめにまさるなみたかは そてのみぬれて あふよしもなし」(『古今和歌集』617)

この31文字の中に、「長雨で水量の増した川をただ渡ろうとしても、袖が濡れてしまうだけで渡れない」と、 「眺め(物想い)によって増した涙で袖を濡らしているだけで、愛しい人に逢う手段が見つからない」という二つの意味が含まれています。 五七五七七という短い和歌の中にこれだけの意味を込めることができるのは、 「なかめ」という言葉が「長雨」と「眺め」という二つの言葉の掛詞になっているからです。 掛詞とは、同音異義を利用して、一つの言葉に二つの意味を持たせるという修辞法です。

和歌は日本語の同音異義語を上手く使って作られた美しく短い詩ということができるでしょう。(中)

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第9回 掛詞(かけことば)2

もう一つ、例を見てみましょう。どこが掛詞になっているか考えてみてください。

「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関」(『百人一首』10蝉丸)

答えは「あふ」です。人に「逢う」という動詞と、「逢坂」という地名を掛けて、 「これが東国へ下る人も都へ帰る人も、ここで別れては逢い、知っている人も知らない人も、ここで別れては出逢うという、 逢坂の関なのか」という意味になっています。

それでは、「まつ」という音で掛詞を作るとしたら、どのような言葉が掛けられるでしょうか。

次の歌は、「まつ」を掛詞として使った『百人一首』の中の一首です。

「来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」(『百人一首』97権中納言定家)

この歌の意味は、「約束しているのに来ない人を待ちつづける私は、夕凪の松帆の海岸で藻塩草(もしおぐさ)を燃やすように 身も心も焼き焦がされてしまいます」となります。 つまり、「人を待つ」の「待つ」と「松帆」の「松」を掛けているということですね。

いかがですか。ここに挙げたものの他にも、「ふる」のように「降る」「振る」「古る」「経る」「故郷」といくつもの意味を表す言葉もあります。 意味を考えながら、和歌にひそむ掛詞を探してみるのも、面白いかもしれません。(中)

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第10回 人物と言葉1

「このトマト、とてもおいしくってよ」「わしは、ビールを飲まんと我慢できんのじゃ」「拙者は上総から参った者でござる」

皆さんはこれらの言葉を読んで、どんな人物像を思い浮かべますか。 実際にこのような言い方をしている人に会ったことがある方は少ないと思いますが、 性別・年齢・時代・生活環境… 大体似たような姿を思い浮かべるのではないでしょうか。

日本語は、それを使う人の背景によってさまざまな表現の仕方があります。 広く知られているのは、言葉の男女差です。例えば、女性は「~よ」「~わ」などの終助詞を文末につける傾向がある、などです。(く)

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第11回 人物と言葉2

また、言葉の選択にも男女差が出るようです。例えば、青年層(特に学生)の男女におけるハガキ文の書き出しの違いを調査したものがあります。

ハガキの書き出しには、「このところ急に忙しくなって」「今日東京に着いたところです」「梅雨も明けました」などの前書き文のあるもの、 「お便りありがとう」といったお礼の類、「拝啓」「前略」といった決まった言葉、「田中さん、こんにちは」のように呼びかけるもの、 などがあります。 このうち、男性の文章には「拝啓」「前略」「お便りありがとう」などが多いのですが、 女性の文章には前書き文のあるものがずっと多く、続いて「お便りありがとう」「呼びかけ」の順になるのだそうです。

これは、男性は簡潔な表現を、女性は柔らかく感情を表すような表現を好んで使う傾向を表していると言えそうです。(く)

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第12回 人物と言葉3

面白いのは、女性から女性へのハガキでは前書き文が使われる率は3割を少し超えるぐらいですが、 女性から男性に向けてのハガキでは6割近くを占めるそうです。 女性は、女性ならではの柔らかい表現を、より多く男性に向けて表現しようとしているのでしょうか。

もっとも、近年はこの男女差が少なくなっていると言われています。 それは、社会において男性と対等に仕事をしたいと望む女性が、 使用する言葉においても女性らしさを前面に出さないようにするという姿勢の表れなのかも知れません。

そのうち、このような差はなくなってしまうのでしょうか。 私個人としては、ちょっと贅沢をしている日は「お嬢様風」の言葉を使ってみたいものですが…。(く)

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第13回 国字1

ご存知のように漢字は中国を起源とする文字です。でも、日本語に使われている漢字の中には日本製の漢字があります。 それを和製漢字と呼んだり、国字と呼んだりします。「峠、凪、畑」などは国字です。 言葉や文字が新たに作られるときというのは、それまで存在しなかった概念や事物が生まれたときだと思うのですが、 峠や凪や畑が昔の中国に存在しなかったわけはないですから、これらが国字だというのはちょっと不思議です。 因みに畑は中国語で「田」と表すのだそうです。

「鰯・鱈」も国字です。弱い魚でいわし、雪のように白い魚でたら。これらは日本で作られ、その後、中国に輸出されたものです。 ほかにも、「糎・粍」のような単位を表す国字が中国に輸出されました。「糎」はセンチメートル、「粍」はミリメートルです。(こ)

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第14回 国字2

ある字が国字かどうかは、専門家の間でも見解が分かれる場合があるようです。 例えば、「畠」。 一般的には国字と考えられていますが、「白田」という2字で表記されたものを転記するときに、 間違えて1字のように書いてしまったのではないか、したがって国字ではないかもしれないという説もあるようです。

また、異体字と言って、漢字の意味・読み方は同じで形だけが異なる字を国字と考えるかどうかにも、見解の違いがあるようです。 「櫻」に対する「桜」、「會」に対する「会」などは異体字と考えられます。 これらは元の字を単に簡略化したのに過ぎないから独立した字とは考えず、国字ともしないという見解と、 異なる字の形を作り出したのだからこれも国字であるという見解に分かれます。

専門的な考え方はさておき、私たちの周りを見渡してみると、身近なところに国字が見つかります。 「榊原」さんの「榊」、「樫山」さんの「樫」、「草彅」さんの「彅」…。あなたの名前も国字かもしれませんよ。調べてみませんか。(こ)

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第15回 他者への配慮1

「内と外」という言葉があります。 日本は元々島国で、四方を海に囲まれており、国民性自体が閉鎖性を持っていた上に、長らく鎖国状態にあって、 諸外国との交流がなかったばかりか、藩制度が存続した近世までは隣の藩へ行くにも通行手形が必要でした。

社会機構としては、身分制度が維持され、自己の属する階層や小社会を「内」と捉え、 そこに属さない「外」の人間と接触する場合は、ストレートに表現することを避け、遠まわしに表現することが、 自然と「他者に配慮する」国民性につながったという見方があります。

この「他者への配慮」は、色々な表現形式に現れますが、今回は「否定」と言う面から考えてみたいと思います。(に)

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第16回 他者への配慮2

「否定」といっても、色々な場面がありますが、総じてストレートに反対するということはごく限られるのではないでしょうか。 例えば、「映画のチケットが2枚あるんだけど・・・。」という具合に誘われた時に、「行けないの。」とは言わず、 「ああ、その日は○○があって・・・。」と言ったり、具体的に述べなくても、「ああ、その日はちょっと・・・。」 という感じでお茶を濁すことが良くあります。

或いは、何かのテーマで話し合っているようなときに反論する場合でも、「私は反対です。」と簡潔に述べるのは極端な場合に限られ、 「それはそうですが」や、「おっしゃることはもっともですが、」などと前置きした上で、 別の見解を述べるという対応が採られることが多いでしょう。

どうも曖昧な態度のように見えますが、日本人の場合、誘いを直接的に拒絶されたり、自分の提起した意見に直接的に反対されたりした相手は、 自分の人格まで否定された感情を持つことが多いため、私たちは、知らず知らずのうちに相手の気持ちに配慮して対応しているというわけです。(に)

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第17回 月の異名1

私の友人に「やよい」という名前の女性がいます。

勘のいい方はすぐわかると思いますが、彼女は三月生まれです。「やよい」というのは、三月の陰暦(旧暦)月名から取った名前なのです。 このほかにも「はづき」「かんな」「さつき」といった名前がありますが、これらもたぶん、生まれ月に由来するものなのでしょう。 このように日本には、一から十二の数字で表す陽暦(新暦)の月名のほかに、意味を持った言葉で表す陰暦の月名があります。

みなさんは十二の月名を全て言えますか?(イ)

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第18回 月の異名2

一月は睦月(むつき)、二月は如月(きさらぎ)、三月は弥生(やよい)、四月は卯月(うづき)、五月は皐月(さつき)、 六月は水無月(みなづき)、七月は文月(ふみづき)、八月は葉月(はづき)、九月は長月(ながつき)、十月は神無月(かんなづき)、 十一月は霜月(しもつき)、十二月は師走(しわす)。

この中で、普段から聞きなれているのは、「五月晴れ」の皐月、「師走商戦」の師走でしょうか。

私がおもしろいなあと思うのは、六月の水無月です。 六月は梅雨のシーズンだというのに、「水が無い月」だなんてどういうことだろうと思っていたら、 これは当て字で、本当は「水の月」がなまって「みなづき」になったのだそうです。 水を田に注ぎ入れる月という意味だとか。 私は子供のころ、地上に雨が降りすぎて、天上の水が無くなってしまうからかなと思っていましたが、そうではなかったのですね。

また、十月の神無月も興味深い名前です。これも、もともとは「神の月」という意味なのですが、もっと有名な俗説があります。 この月には、八百万(やおよろず)の神々が出雲大社(島根県)に集まるために、他の地には神がいなくなってしまうから、という説です。 神々が集まるその出雲地方では十月のことを「神有月(かみありづき)」というそうです。日本人の遊び心が伝わってくる命名ですね。(イ)

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第19回 月の異名3

この陰暦の月名は和歌などでもよく使われています。例えば、次の西行の歌を見てみましょう。

「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃」(『山家集』)

(願うことなら、桜の木のもと、春に死にたいものだ、そう、あの二月の満月の頃に)

釈迦入滅のように、如月の頃に死にたいと願った西行ですが、実際、彼が亡くなったのは1190年の陰暦(旧暦)二月十六日、七十三歳のことでした。 願いどおり、如月の頃にこの世を去ったわけです。

ただ、この和歌を見て、「二月に桜が咲くの?」と疑問を持つ方も多いかもしれません。 私たちが普段使用している陽暦(新暦)は地球が太陽の周りを一周する時間、つまり、季節の交代する周期を基に作られていますので、 毎年、月名と季節が一致しています。 しかし、一方の陰暦(旧暦)は月の満ち欠けに基づいて作られていますので、月名と季節の推移が微妙にずれていきます。 つまり、月名と季節が合わない年があるということです。 ただ、逆にいえば、毎年ずれているわけではなく、何年かのサイクルで旧暦の如月が新暦の三月や四月にあたる年がやってくるということです。

西行が亡くなったのは新暦の三月二十九日にあたる年だったそうです。無事、桜が見られたと思いたいですね。(イ)

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第20回 季語1

秋ですね。「秋」というと、みなさんは何をイメージしますか。秋刀魚、松茸、月見、運動会などでしょうか。

次の俳句を見てください。

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」

これは正岡子規の有名な句です。 この句の場面となっている季節は秋ですが、「秋のことですよ」と説明しなくても、「柿」という言葉が一つあるだけで、 秋のある日、法隆寺の鐘の音を遠くに聞きながらのんびりと柿をかじっている人の画が浮かびます。 この句の「柿」のように、俳句には、季節をイメージできる言葉を入れることになっていますが、そのような言葉を「季語」といいます。

季語の表す季節は、立春から立夏の前日までが「春」、立夏から立秋の前日までが「夏」、立秋から立冬の前日までが「秋」、 立冬から立春の前日までが「冬」となり、これに「新年」が加わります。 この基準で考えると、例えば8月中旬は「秋」扱いということになり、現代の私たちの「秋」とは少し異なる分け方かもしれません。

俳句は五七五のリズムで作りますが、この短い中に季節を表す語がそっと忍ばせてあるというのはおしゃれな感じがしませんか。(中)

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第21回 季語2

それでは、具体的に少し見てみましょう。次に挙げた言葉が表す季節はいつでしょうか。

1外套脱ぐ 2梅雨 3赤とんぼ 4新嘗祭 5三が日

1は春、2は夏、3は秋、4は冬、5は新年です。 この五つだけを見ても、いろいろな視点から季節を表現しているのがわかります。

例えば、1の「外套脱ぐ」は生活上のことがらを季語にしています。 季節が変わり、冬の間着ていた外套がいらなくなったから脱ごう、という表現で春を表しています。 2の「梅雨」は気象の言葉です。 「梅雨」という言葉を聞いただけで、じめじめした湿気が多く暑い日をイメージすることができます。 3の「赤とんぼ」は生き物です。赤とんぼを見ると、「ああ、もう秋なんだな…」としみじみ感じることがありますね。 4の新嘗祭は行事です。新嘗祭は天皇が穀物を神に供える祭りで、11月23日に行われています(古くは11月下旬の卯の日)。 そして5の「三が日」は時候を表す言葉です。「三が日」といえば、新年明けての最初の三日のことですから、新年の季語になるわけです。

これらの季語を見てもわかるように、私たちは生活上のことがら、気象、生き物など、いろいろなものから季節を感じているのですね。(中)

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第22回 季語3

良い俳句とされるものの条件として、「季語の説明がない」ということがあるようです。

例えば、「裏庭や強く吹きたる春一番」などとしてしまうと、強い風で裏庭の木々が揺れている様子が浮かんできますが、 「春一番」そのものが強い風のことですから、意味が重複してしまうわけです。 くどくどと説明しなくても、季語を見ただけで情景が浮かぶ、というのが季語の魅力なのでしょう。 日本人は文を最後まで言わなくても相手の言わんとするところを読み取る、婉曲表現を使うことが多いなどということと共通するものを感じます。

日本は四季がはっきりしている国です。俳句の季語は、日本の四季の美しさを様々な角度から端的に言い表しているものと言えるでしょう。(中)

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第23回 忌み言葉1

皆さんは「あたりめ」「ありの実」「波の花」という言葉を聞いたことがありますか。

それぞれ「するめ」「梨の実」「塩」のことです。 「あたりめ」は、昔の商人たちが「(損を)する」との語呂合わせから「するめ」と言うのを嫌って言い換えた言葉です。 「ありの実」は、「なし」が「無し」に通じることから、使うことを避けて「有り」と言い、 「波の花」は「塩」の「し」の音が「死」につながるので言い換えたものです。 このように、その語の意味や連想が悪いため、使うのを避ける語や、それにかわって用いる語を「忌み言葉」といいます。

このような考え方は日本独自のものではなく、例えば中国では、 お正月に「完了(おわる)」「没有(ない)」「破了(破れる)」と言うのは良くないのだそうです。

また、マントウを作る時、裂け目が出たら「破れました」の代わりに「笑いました」と言うのだそうです。(く)

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第24回 忌み言葉2

「忌み言葉」という名前には馴染みがない方でも、結婚を祝う時に「帰る・もどる・切れる・わかれる・終わる…」といった、 離婚や再婚を連想させるような言葉は使わないことや、「ケーキを切る」ではなく「ケーキにナイフを入れる」と言ったり、 「終わり」を「お開き」と言い換えたりしていることは、お聞きになったことがあるのではないでしょうか。

また、受験生に対して「落ちる・すべる」という言葉を使わないように注意したり、 或いは自分が受験生の時に意識したりしたことがあるのではないかと思います(該当する方がいらしたら、申し訳ありません)。

これらも、試験に失敗することを連想させるような言葉なので、避けようとしていたのですね。(く)

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第25回 忌み言葉3

もちろん、これらの言葉を使ったからといって必ずしも良くないことが起こる訳ではないことを私たちは知っています。

それでも気にかけているのは、昔、言葉の中には不思議な力がこもっていると思われており、 縁起の悪い言葉を使うと本当に良くないことが起こってしまうと考えられたことに由来するのではないかと言われています。 今でも、ポジティブ・シンキングの本などに『「どうせ」「でも」などという言葉を使っていると、うまくいくこともいかなくなってしまう。 「できる」「うまくいく」と口に出してみるだけでも違うものだ』と書かれていることがありますが、 これも言葉には何らかの力があるという考えが、少なからず残っているということなのかも知れません。

最近では、お祝いの席で忌み言葉を気にしすぎて堅苦しくなるよりも、祝う気持ちが表せていればいいのではないかという考え方もあるようです。

それはそうかも知れませんが、自分が話す言葉によって相手を嫌な気持ちにさせたくない、 気持ちよく過ごして欲しいと願って不吉な表現を避けたり言い換えたりする考え方も、優しい気持ちが込められていて美しいと私は思います。 皆さんはいかがでしょうか。(く)

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第26回 奥床しい1

先日、電車の車内広告に目が釘付けになりました。「賢明で、奥床しい女性を育てます」。

広告としては非常に地味な見た目でしたが、『奥床しい』の1語で、車内のどの広告よりもインパクトがありました。 いったい何の広告かと思ったら、私立女子中学のものでした。 耳で聞いたことはありましたが、初めて目にした『奥床しい』という言葉。 昔の日本女性をイメージさせるこの言葉の意味は、上品で、でしゃばらないというようなことだと理解していましたが、改めて辞書で調べてみると、 「おく‐ゆかし・い 【奥床しい】 深みと品位があって、心がひかれる。深い心遣いが感じられて慕わしい。 「人柄が―・い」」(大辞泉)と出ていました。 そうか、品があって心遣いが感じられるだけじゃないんですね。

心ひかれたり、慕わしかったりしないと、『奥床しい』とは言わないんですね。『淑(しと)やか』とは違うのでしょうか。(こ)

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第27回 奥床しい2

『淑やか』は上品で静かな様を言います。 「お淑やかにしなさい」と言うことはあっても、「奥床しくしなさい」と言わないのは、『奥床しい』が意識的に作り出す様ではなく、 自然ににじみ出てくるものだからではないでしょうか。 『淑やか』のほうは、意識的にそうすることができますよね。

しかし、『淑やか』にしても『奥床しい』にしても、死語とまでは言いませんが、そのような人にお目にかかることは本当に少なくなりました。 女優さんで言えば、吉永小百合さんのイメージでしょうか。 もっと前の女優さんであれば、いろいろな人が該当するのかもしれませんが残念ながら詳しくないので、 思い浮かぶ女優さんがいる方は思い浮かべてみてください。また、身近にはそのような女性がいますか。

私は小、中、高と共学で、大学だけ女子校でした。 しかし、いわゆるお嬢様大学ではなく、どちらかと言うと勉学に熱心なタイプが集まっている学校でした。 少なくとも、私はそういう学校だと思って入学したのでした。しかし、そこにいたのです。『奥床しい』女性が。(こ)

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第28回 奥床しい3

その人は、美しい人でした。

派手ではないのですが、何か心ひかれるものがある人でした。 授業中、隣に座ることもありましたが、その人の声を聞いた覚えがありません。 私は何度も声を掛けようと思ったのですが、気後れして声を掛けられず、声を聞くことがなかったのです。

しかし、先生に指されることもあったはずですから声は聞いたはずなのですが、私のイメージの中でのその人は言葉を発さず、 なのに不思議な存在感を漂わせています。 勉強ができたとか、人に親切にしていたとか、彼女に関する具体的なことは何も覚えていません。 ただ、深みと品位があって心ひかれる、まさに、『奥床しい』人だったことだけは鮮明に覚えています。 当時、私も彼女も18歳だったはずですが、既に彼女は奥床しかったのです。 やはり、奥床しさというのは身につけようと思って身につくのではなく、自然とにじみ出てくるものなのです。

大学を卒業してからかなりの年月が経ちましたが、未だに身近なところで彼女のような奥床しい人に出会ったことはありません。

前述の車内広告の女子中学は、いったいどのようにして奥床しい女性を世に送り出しているのかと、ちょっと意地悪な好奇心を抱いてしまいました。(こ)

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第29回 相槌1

ホテルや劇場といった場所で、数人のグループで話している人達が、互いにうなずき合っていればそれは日本人のグループだ、という見方があります。

頻繁にうなずき合うのは日本人特有の現象であり、日本語はいろいろな言語の中で「相槌(あいづち)」が多い言語だと言われています。

お互いにうなずき合ったり、相槌を打ち合ったりしているときはそれほど意識しないかもしれませんが、 例えば、話している相手が表情を変えないで、うなずきもせず聞いているとき、 話し手は聞き手に対して「話がちゃんと伝わっているだろうか」と、疑問を抱くものではないでしょうか。 私など、日本語教師になりたての頃、学習者が目を見開いて首を動かすこともなくじっとこちらを見て授業を聞いている姿を見て、 ちょっと落ち着かない心持ちになったものです。

私達は、うなずいたり、相槌を打ったりすることで何を伝えようとしているのでしょうか。(に)

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第30回 相槌2

「相槌(あいづち)」という言葉は、江戸時代から使われている言葉で、鍛冶屋さんが刀を鍛える時に、 向かい合って槌を打つという動作から生まれたものです。それが転じて、会話の時に見られる言動に使われるようになりました。

相槌には、「へえ」とか「そう」とか「ああ」といったように言葉で表される場合もありますが、 単に首を上下や左右に動かすといった行動で表現される場合もあります。 外国人の中には、この現象を、話をさえぎられているかのように不快に感じる人もいますが、 日本人は相手の話をさえぎるどころか、「あなたの話をちゃんと聞いていますよ」という姿勢で相槌を打っているのです。

この姿勢に対する理解が実はとても大切です。(に)

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第31回 相槌3

よく、日本人の「はい」が、相手の話の内容に対する肯定的メッセージだったかどうか後になってから議論の対象になる場合があります。

この点について、金田一春彦先生や水谷修先生、水谷信子先生らが述べていらっしゃいますが、 この「はい」は英語の「YES」とは必ずしも関連はなく、話そうとしている相手に対して、聞き手側から話を促す信号を送っているに過ぎません。 従って、聞き手は話し手の「話の内容」を肯定しているのではなく、「話そうという姿勢」を肯定し、尊重しているということが言えるでしょう。 これによって、話し手は知らず知らずのうちに励まされるもので、これがないと、聞き手に自分の話が伝わっているか、確信が持てなくなるのです。

相槌は、言わば、話し手に対する聞き手側の配慮の表れであり、コミュニケーションを楽しもうという気持ちの表れなのかもしれません。(に)

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第32回 相槌4

日本人同士の会話には、単に聞き手が「へえ」とか「そう」とか「ああ」といった相槌を打つだけでなく、 話し手と聞き手とで会話文を成立させている場合も少なくありません。

例えば、「きのう、あの、ほら、駅前にできたケーキの店に」「行ったの?」「それが、あんまり・・・」「おいしくなかった?」という感じで、 話し手が言いかけたところで聞き手が話を受け継いで言うようなケースで、これは日常茶飯事でしょう。 これが、話し手と聞き手がふたりで話す場合だけでなく、数人のグループの会話でなされる場合もあります。

これは、ひとつの話を参加者が一緒になって形作っていくことから、水谷信子先生は「共話」と呼ばれ、相対して話す「対話」と区別されました。

前回、相槌はコミュニケーションを楽しもうという気持ちの表れ、と表現しましたが、 この「共話」にも、相手を受け入れる姿勢や共に話す場を大事にしようという姿勢が表れていると言えましょう。(に)

参考文献
・ 『話しことばと日本人』水谷 修
・ 『心を伝える日本語講座』水谷信子
・ 『日本語 新版(下)』金田一春彦
・ 『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/a/aiduchi.html

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第33回 蛙は単数か複数か1

「♪蛙の歌が聞こえてくるよ♪」子供の頃、聞いたり歌ったりした方もいますよね。

ところで、この歌を聞いて、みなさんはどんな風景をイメージしますか。 池の蓮の上に乗って歌っている蛙は一匹ですか。それとも二匹?もっとたくさんの蛙の大合唱を想像する方もいるかもしれません。 このように、蛙の数が人によって違うのはなぜなのでしょうか。

これは、日本語には単数形、複数形というものが存在しないからです。 もちろん、「子供たち」の「たち」、「奴ら」の「ら」などの接尾語を使って複数であることを表す方法はあります。 しかし、「きのう、私はりんごたちを食べました」とは言いません。

りんごが単数なのか複数なのかをどうしても示したいときは、「きのう、私はりんごを二つ(三つ、いくつか)食べました」と言えばいいわけです。(イ)

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第34回 蛙は単数か複数か2

これが英語となると、どんなときも単数なのか複数なのかをはっきりさせなければなりません。 きのう食べたりんごは「an apple」なのか「apples」なのか。

世界の言語を見てみると、英語やヨーロッパの言語をはじめとして、単数と複数の区別を持つ言語のほうが圧倒的に多いようです。 区別を持たない言語としては、日本語以外に中国語や韓国語、タイ語などアジアのいくつかの言語が挙げられます。

英語を勉強しはじめたとき、この単数形と複数形の言い分けに悩まされました。 前述のりんごのように「s」をつけるだけならまだいいのですが、「tooth→teeth」「foot→feet」のように、 形が変わるものも多く、単数複数の区別のない日本人に生まれてよかったと心から思ったものです。

逆に、英語圏の人たちは、日本語はなんでもあいまいにする言葉だなあと感じるのかもしれませんね。(イ)

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第35回 蛙は単数か複数か3

松尾芭蕉の有名な句があります。「古池や かわず蛙飛びこむ 水の音」(『春の日・春』)

また、蛙が出てきましたが、この蛙は一匹なのでしょうか。それとも複数の蛙なのでしょうか。 どう取るかで、受けるイメージが全く異なりませんか。一匹であれば、「ちゃぽん」というちょっと寂しげな音。 二匹であれば、「ちゃぽん」ちょっと間を置いて「ちゃぽん」。

あまりにもたくさんの蛙が飛び込みつづけたら、「古池」の水があふれてしまうかもしれませんね。

次の句はいかがでしょうか。

「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」(『奥の細道・夏』)

今度は蝉です。この蝉は単数ですか。複数ですか。 この句に関しては、古来より、蝉の種類や蝉の数に関して議論がなされていて、まだはっきりと結論は出ていないようですが、 みなさんはどんな種類の蝉が何匹くらい鳴いていると感じますか。 私は蝉の種類はよくわかりませんが、一匹ではなく、数匹の蝉が輪唱するように、鳴き合っている静かな山奥の風景を思い浮かべます。 読者の方の中には、もちろん、一匹だと感じる方もいるでしょうし、鳴き方に関しても私とは違ったイメージを持つ方もいるでしょう。

日本語における単数と複数の区別がないという特徴は、「鑑賞」と言う点では、 「鑑賞者の理解の自由度」を増す長所となっているのではないでしょうか。(イ)

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第36回 枕詞1

奈良県に「あすか」という村があります。 この村の名前を漢字で書くと「明日香」ですが、同じ読み方の漢字として、「飛鳥」を考えられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。 「明日香」であれば、そのまま「あすか」と読めますが、なぜ「飛鳥」で「あすか」と読むのでしょうか。

有力な説は、和歌の枕詞の影響です。枕詞とは、口調を整えるためにある語に前置きのように添える言葉を言います。 例えば「あしひきの やま」「たらちねの はは」という表現の「あしひきの」「たらちねの」が枕詞にあたります。

それでは、「あすか」の枕詞はと見ていくと――「とぶとりの」です。 つまり、「飛鳥のあすか」という言葉が使われ続けた結果、「飛鳥」といえば「あすか」というように、代名詞化してしまい、 時間の経過とともに、「飛鳥」が「あすか」と読まれるようになってしまったのです。(中)

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第37回 枕詞2

枕詞はなぜ生まれてきたのでしょうか。

枕詞は、地名や固有名詞に多く使われています。 特に『古事記』や『日本書紀』、『風土記』といった神道的な内容を持つものでは、ほとんどが地名や神名に使われていて、 一般の名詞に使われることはほとんどありません。 これは、枕詞の発生にまつわる説と関係があるようです。枕詞の発生についての説で最も有力なのは、 神の意志を伝える詞の中に、特殊な表現が使われており、それが枕詞のもとになったとする、託宣を起源とする説です。 こうして考えてみると、枕詞というのは、神とそれを周囲に伝える役割をする人との間の隠語のようなものだったのでしょうか。

私たちは今でも職場や仲間内で隠語を使うことがありますが、それが古代、神と人との間にもあったと考えると、面白いものだと思います。(中)

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第38回 枕詞3

発生してきたころは、地名や神名に使われていた枕詞ですが、時代が進むにつれて一般の名詞にも使われるようになります。 それでは、一般の名詞につく枕詞の中から具体的に一つを取り上げて考えてみましょう。 「たらちねの」という言葉は、「母」の枕詞であるということをご存知の方も多いと思います。

なぜ「母」の枕詞として「たらちねの」になるのでしょうか。

この言葉を漢字で書いてみましょう。「たらちね」は「垂乳根」と書きます。こうすると、何となくイメージができるのではないでしょうか。 女性は子供を生んで母になると、母乳を子供に与えるため乳が垂れてしまう。だから、「乳が垂れた人=母親」という意味なのです。

少し生々しい表現のような感じもしますが、和歌を現代語に直すときに、 枕詞には触れないとはいえ、こうして意味を持っているものもあるのですね。(中)

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第39回 枕詞4

和歌の枕詞から離れて、「A"といえば"B"のこと」というような、枕詞の役割を持つ決まり文句を現代の私たちの周りで探してみましょう。例えば、野球で「怪物」といえば後ろには西武ライオンズの松坂大輔投手の名前、 「大魔神」といえば横浜ベイスターズの佐々木主浩投手の名前しか付きません。 皆さんの周りでも、人の名前の前に何か言葉を加えるという例は多いのではないでしょうか。「枕詞」というと、古い感じがしますが、枕詞は私たちの身近なところで今も生きているのですね。(中)

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第40回 「ぼかし」の表現1

刑事:何だ、お前は。その格好からすると、勤め人か何かか。

勤め人:そうだよ、その「何か」だよ。

これは、以前見たお芝居の中にあったやりとりです(高橋いさを/作「ウォルター・ミティにさようなら」)。 6、7年前に見たお芝居なのですが、面白い台詞だったので、未だに記憶に残っています。

この台詞の中で、刑事はなぜ「その格好からすると勤め人か」と言わなかったのでしょうか。 このとき、相手はスーツを着ていて、明らかにサラリーマンとわかる雰囲気でした。 刑事も、相手の格好を見て、「こいつはサラリーマンだ」と思っていたに違いありません。 にもかかわらず、「か何か」という表現を後ろにつけています。

この「か何か」には、どういう意味があるのでしょうか。(中)

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第41回 「ぼかし」の表現2

この場合の「~か何か」と似たような働きを持ち、よく耳にする表現に、「~とか」という表現があります。

「Aさんも明日来るとか言っていたよ」という場合の「とか」です。 Aさん自身は「明日来る」とはっきり言っていたとしても、それを伝える人が「とか」という表現をつけることがあります。

「~か何か」も「~とか」も、断定することを避ける機能があります。 日本人は断定することを避ける表現をよく使いますが、これは「傷付くことを避ける」ためだと言われています。 誰が「傷付く」ことを避ける表現なのでしょうか。 これには、2種類あります。一つは、「相手が傷つくことを避ける」場合です。 つまり、自分がはっきり何かを断定してしまうことによって相手が傷付くことを恐れて、ぼかすのです。

話している相手への配慮と言えるでしょう。(中)

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第42回 「ぼかし」の表現3

しかし、最近、特に若い人に多いのは、もう一つの「自分が傷付くことを避ける」場合だそうです。

何かを断言して、それを相手に否定されることによって自分が傷付くのを恐れて、ぼかした表現にしていると言えます。 こちらの例としては、先に挙げた「Aさんも明日来るとか言っていたよ」という表現があります。 「Aさんも明日来ると言っていたよ」でかまわないのですが、万が一相手から「そんなこと言っていないよ。 明日じゃなくて明後日だよ」と否定されてしまった場合は、断定した自分が傷付いてしまいます。

それを避けるために、「とか」を使って、「確か、明日来るというようなことを言っていたと思う」 という曖昧なニュアンスを漂わせているということができます。

最初に示したお芝居の台詞も、見た目で相手がサラリーマンだとわかっていても、 万が一違った場合のことを考えて「か何か」をつけていると考えられます。(中)

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第43回 「ぼかし」の表現4

最近、日本人の「察しの能力」が低下していると感じている人が56%に上るそうです。

さらに、これからの時代は最後まで言葉に出して言うべきだという意見が34%を占めています(文化庁 平成13年「国語に関する世論調査」)。 他にも、言いたいことをストレートに口にするタレントが人気になるなど、日本人の中でも表現をぼかすことについて変化が見られます。 しかし、相手を傷つけないという配慮や、自分が恥ずかしい思いをしないことも大切です。

コミュニケーションを楽しむためにも、「ぼかし」の表現をうまく使えるといいですね。(中)

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第44回 歌詞のアクセント1

日本語のアクセントは高低によるものです。 それが、歌にも反映されることがあります。有名なのは、三木露風作詞、山田耕筰作曲の『赤とんぼ』でしょう。

1.夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か

2.山の畑の桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか

3.十五でねえやは 嫁にゆき お里のたよりも 絶えはてた

4.夕焼け小焼けの 赤とんぼ とまっているよ 竿の先

この「あかとんぼ」の箇所のメロディーが、言葉のアクセントの頭高型(高い所を●、低い所を○で表すと●○○○○)を反映しています。 「えっ、違うよ。だってあかとんぼは○●●○○で発音するんじゃない」と思った方は、日本語の標準アクセントに敏感な方ですね。 確かに現在では「あかとんぼ」を○●●○○ と発音するのが普通です。 しかし、三木露風がこの詞を発表したのが大正10年(1921)、山田耕筰が作曲したのが昭和2年(1927)で、 その時点では ●○○○○が標準的だったということですから、日常で用いられていたアクセントに忠実にメロディーが作られたというわけです。(こ)

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第45回 歌詞のアクセント2

もう一つ、歌のアクセントで有名な逸話と言えば、藤山一郎の『蛍の光』です。 藤山一郎(1911~1993)は『青い山脈』『丘を越えて』や、「新しい朝がきた、希望の朝だ」で始まる『ラジオ体操の歌』で有名な歌手です。

NHK紅白歌合戦で『蛍の光』を指揮していた人でもあります。 そのとき、藤山は歌の出だしの「ほたる」の部分を歌わなかったと言われています。 本来のアクセントとは異なる音の高低を嫌ったためだそうです。 「ほたる」は頭高型(高い所を●、低い所を○で表すと●○○)が標準的なアクセントですが、この歌では平板型(○●●)になっています。

彼がいかに日本語のアクセントを大切に思っていたかを物語るエピソードです。(こ)

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第46回 歌詞のアクセント3

では、近年の歌のアクセントを見てみましょう。2003年のヒット曲『世界に一つだけの花』は槇原敬之の作詞・作曲です。

「そうさ 僕らは 世界に一つだけの花」という部分だけ見てみると、 「そうさ」は高い所を●、低い所を○で表すと○○●(標準アクセントでは●○○)、「ぼくらは」●○○○(標準アクセントでも同じ)、 「せかいに」○○○●(標準アクセントでは●○○○)、「ひとつだけの」●○○○●●(標準アクセントでは○●○○○○または ○●●●●○)、 「はな」●○(標準アクセントでは○●)というように、メロディーとアクセントの高低はあまり一致していません。 藤山一郎だったら、決して歌わなかったことでしょう。 でも、この歌が多くの人の心をつかんだように、アクセントにこだわらなくたって、いい歌はいい歌なのです。 私もこの歌が大好きです。だからといって、歌詞のアクセントをないがしろにしてほしくはありません。

日本語のアクセントを大切にした歌も生き続けてほしいと思います。(こ)

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第47回 日本語の文字と表記1

日本語の学習者がよく言います。 「先生、平仮名と片仮名と漢字を勉強するのは本当に大変です!平仮名だけではだめですか?」みなさんが教師だったら、どう答えますか。 今回は私達日本人が当たり前のように使っている日本語の文字について少し考えてみたいと思います。

次の文は当校のパンフレットから抜粋したものですが、何種類の文字が使われているか数えてみてください。

「実習1では、基本的な教授技術能力を身につけます。その中にはVTR撮り、実技テストがあり、すべてにきめ細かい個別指導がなされます。 自分の能力アップを実感しながら履修できます。」

いかがですか。漢字・平仮名・片仮名、そしてローマ字・数字と、計5種類の文字が使われていますね。 (かぎかっこ(「 」)、読点(、)、句点(。)などの符号は除きます) 現在、世界には約400種の文字があると言われていますが、例えば、欧米諸国ではローマ字、お隣の韓国ではハングル文字、中国では漢字、 と主に一つの文字を使用している国がほとんどです。

そんな中で、日本語のように複数の文字を併用している言語は非常に珍しいと言えるでしょう。(イ)

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第48回 日本語の文字と表記2

文字は表意文字と表音文字に大別されます。 表意文字とは、一文字一文字それぞれがある決まった意味を表している文字のことで、漢字に代表されるものです。 ほかにも象形文字や絵文字などがこの特徴を持っています。 一方の表音文字とは、一文字一文字が特定の意味を持たず、音を表すだけの文字のことで、 日本語の仮名のほかに、ローマ字やアラビア文字、ハングル文字などがこれにあたります。

日本語は、表意文字である漢字と表音文字である仮名を併用しているのですが、この表記形式を「漢字仮名交じり文」と呼びます。

さて、日本語学習者を悩ませるこの「漢字仮名交じり文」のメリットはどこにあるのでしょうか。(イ)

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第49回 日本語の文字と表記3

A:じっしゅういちでは、きほんてきなきょうじゅぎじゅつのうりょくをみにつけます。 そのなかにはぶいてぃいああるどり、じつぎてすとがあり、すべてにきめこまかいこべつしどうがなされます。 じぶんののうりょくあっぷをじっかんしながらりしゅうできます。

B:実習1では、基本的な教授技術能力を身につけます。 その中にはVTR撮り、実技テストがあり、すべてにきめ細かい個別指導がなされます。 自分の能力アップを実感しながら履修できます。

いかがですか。Aの平仮名だけで表記された文はとても読みにくいですね。 これは、一種類の文字だけで表記すると、どこまでが一つの単語なのか、どこで文節が区切れるのかという文の構成がわかりにくくなるためです。

日本語の表記の原則として、Bの文のように、名詞、動詞・形容詞の語幹(変形しない部分)などの実質的な意味を表す部分は漢字で書き、 助詞・助動詞、動詞・形容詞の活用語尾(変形する部分)などの文法的な要素を表す部分は平仮名で、 そして外国の地名・人名、外来語などの特殊なものは片仮名で書くという決まりがあります。

このように複数の文字を使い分けることによって、単語や文節の区切れ目が明確となり、 英語などのように分かち書きする必要がなくなるというわけです。(イ)

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第50回 日本語の文字と表記4

では、もう少し詳しく、それぞれの文字のメリットを考えてみましょう。

表意文字である漢字は、平仮名だけでは意味が理解しにくい同音異義語 (例:こじん→個人・故人・古人)や同訓異義語(例:あつい→暑い・厚い・熱い)を区別しやすくします。 また、知らない言葉でもその漢字から大体の意味を類推することもできます。

片仮名はどうでしょうか。片仮名は外国の地名・人名や外来語の表記だけに使用されるわけではありません。次の文を見てください。

・ 「キャー」という悲鳴が聞こえた。(発音)

・ ギラギラした太陽が照りつけている。(擬態語)

・ デカがホシを挙げる。(俗語・隠語)

・ 彼女は彼の飲み物にヒ素を盛った。(常用漢字から外れる表外字の代用) 

・ 血液検査の結果、私はスギやヒノキの花粉アレルギー、イヌやネコの動物アレルギーだとわかった。(学術用語)

いかがですか。外来語ではなくても、その音や意味を特別なものとして強調したい、目立たせたいときに片仮名が使われているわけですね。(イ)

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第51回 日本語の文字と表記5

では、ローマ字はどうでしょうか。

例えば、VTRがブイティーアールと書いてあった場合、まず文字数が多くて読みにくいですね。 また、JRがジェイアールと書いてあったら、それが電車の会社だと気付くまでに時間がかかるかもしれません。 つまり、私達が仮名ではなく、あえてローマ字表記を選ぶのは、それが一つの意味を持つ記号のように示せるからなのでしょう。

日本語が複数の文字を併用するのは、それぞれの文字の特徴を活かした使用法によって、文の構成がわかりやすく、 拾い読みしやすくなるからということがわかっていただけたでしょうか。

もちろん、日本語学習者の中には、そのニーズや環境によっては、平仮名・片仮名・漢字の全てをマスターする必要はない人もいます。 ただ、日本の書物や映像を見聞きするためには、書くことは無理でも読めなければなりませんし、 文字を知ることによって、日本での生活もより一層便利になるでしょう。

小学生の頃、漢字ドリルが大嫌いだった私は、日本語学習者のように「どうして漢字なんて覚えなきゃいけないんだろう」と嘆いたものですが、 あの時、漢字の学習をがんばっておいて良かったと今はしみじみ思います。(イ)

参考:『日本語教育講座4 日本語の歴史』(千駄ヶ谷日本語教育研究所 発行)

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