トップページ > コラム・ミニ知識 > 日本語の美しさ > 第52回 敬語・敬意表現1 -敬語1-
みなさんは次のような文についてどう思いますか。 「1受付の担当者にうかがってください。」「2開場までロビーでお待ちしてください。」「3お早めにお召し上がりになってください。」
街中で耳にする機会もあるかもしれませんが、これらは敬語の使い方を間違っているものです。 1と2は、本来謙譲語である「うかがう」「お待ちする」を尊敬語として使っているもので、 正しくは「受付の担当者にお尋ねください。」「開場までロビーでお待ちください。」です。 また3は、丁寧に聞こえますが、「召し上がる」と「お~になる」という尊敬語が重複していますから、 「お早めに召し上がってください。」が正しい使い方です。
最近、日本語の乱れや敬語の使い方について取り沙汰されることがよくありますが、 文部科学大臣の諮問機関である文化審議会国語分科会(阿刀田高会長)では、敬語の適切な使い方を示した実例集を作成することを決めました。
敬語や話し方についての本は数多く出版されていますが、国の審議会が具体的に指針を作るのは初めてとのことです。(に)
文化庁の2003年度の世論調査によると、敬語を必要と感じている人は9割を越えており、敬語への関心は極めて強いといえます。 もともと日本語は場面依存性が高いとされ、場の在り方や雰囲気、 相手との関係(上下関係・ウチソトの関係・親疎の関係)によって語彙や表現が変わるわけですが、敬語はその典型例です。 丁寧な言葉遣いによって、目上の人(年齢、社会的立場、キャリアが自分より上位にある人)に対する敬意を表します。 顧客とのよりよい関係や職場での円滑な人間関係のためには、敬語を正しく使いこなすことが大きな条件となります。
敬語は、現在、一般的には尊敬語、謙譲語、丁寧語の3種類に分類されています。
尊敬語は、目上の人やソトの人、あまり親しくない人に対して、相手や話題の人物を高める表現を使うことで敬意を表します。 一方、謙譲語は、自分や身内、話題の人物を低めることで結果的に相手や話題の人物を高め、敬意を表します。 丁寧語は、相手を高めるために表現を丁重にするもので、 聞いている人に好感を与える美化語(「お食事」「おつとめ」など)も丁寧語の一部とされています。(に)
敬語表現には、元の動詞を別の動詞に置き換えて敬語表現にするもの(置換式敬語)と、動詞の前後、または後ろに補助動詞、 助動詞を添えて敬語表現にするもの(添加式敬語)があります。
尊敬語には、大きく分けると三つのタイプがあります。 1置換式敬語、2「お~になる」「ご~になる」(添加式敬語)、3「~(ら)れる」(添加式敬語)の三つです。 例えば、1召し上がる、2お飲みになる、3飲まれる、というようになり、場面によって使い分けられます。 この内、2については、相手に指示したり、依頼したりする場合、「お掛けください」「ご搭乗ください」というように、 「お~ください」「ご~ください」の表現が使われます。 また、3の表現は、受身や可能の表現と同じ文型であるため、「夕食を食べられましたか」というような場合、 「夕食を召し上がりましたか」という言い方をすれば、意味の混同が避けられます。(に)
謙譲語は、自分(話し手)や身内、話題の人物に関することや動作に使ってへりくだることで、 結果的に相手や話題の人物を高め敬意を表すものですが、尊敬語と同じように、 元の動詞を別の動詞に置き換えて敬語表現にするもの(置換式敬語)と、動詞に補助動詞、 助動詞を添えて敬語表現にするもの(添加式敬語)があります。
謙譲語には、大きく分けると二つのタイプがあります。 1置換式敬語、2「お~する」「ご~する」(添加式敬語)です。 例えば、1参る、2お渡しする、ご案内するというようになり、場面によって使い分けられます。 この内、2の添加式敬語として、「あげる」「もらう」の謙譲語にあたる「さしあげる」「いただく」を使って、 「~てさしあげる」「~ていただく」や「~せ(させ)ていただく」という表現も、より敬意を込めたものとして使われます。
この内、「~てさしあげる」、「~せ(させ)ていただく」は、話し手自身の動作につけて敬意を表しますが、 「~ていただく」は、相手の動作につけることで、相手が話し手のためにしてくれたことへの謙譲の気持ちを表すものです。 例えば、「駅まで送っていただきました」というように使われます。(に)
先に取り上げた尊敬語や謙譲語を使って表現する場合、動詞以外の単語の前や後に接辞をつける場合があります。 これが接頭語や接尾語と呼ばれるものです。
尊敬語として使われる接頭語としては、「お住まい」「ご家族」「御社」「貴社」、 接尾語としては「林さん」「林様」「課長殿」などがあります。 一方、謙譲語として使われる接頭語としては、「弊社」「愚案」「粗品」、接尾語としては「私ども」などがあります。
接頭語・接尾語は、それが付く単語によって概ね決まってきますが、「様」と「殿」のように使い分けが問題になる場合もあります。 皆さんの中にも、使い分けに迷った経験がおありの方がいらっしゃるかもしれません。 元々敬称としては、邸宅に住まう人という意味の「殿」がありましたが、鎌倉時代ごろから「様」が併用されるようになりました。 このように書くと、敬意に差があるかのようですが、そうではなく、先ほどの例に示したように、私名に付けるのは「様」、 官職に付けるのは「殿」という使い分けがあります。(に)
丁寧語には、特に敬意を意識することなく、文末表現の「です」「ます」や、 「レストランは8階でございます」「暖かくなってまいりました」といった、 状況に即したやわらかい言い方も広く含まれますが、「こっち・そっち・あっち」に対して「こちら・そちら・あちら」と言うように、 基本的には丁寧な言い方をすることで相手を敬う気持ちを表すものです。
この「相手を敬う気持ち」という点に関して、しばしば問題となるのは「ございます」の使い方です。 1「お電話かわりました○○でございます」は、丁寧語として違和感を与えませんが、2「何かご質問がございますか」という言い方については、 「何かご質問がおありですか」が適切だと考える人が多いようです。 それは、「ございます」が、1のように自分に関しても使えるのに対して、「おありです」は相手にしか使えないことから、 2のようなケースで「ございます」を使うのは、相手を敬う気持ちを表さないからだと考えられます。
ただ、例えば、「お忘れ物ございませんよう」や、「お変わりございませんか」のように、日常的に耳にする機会が多く、 徐々に一般化の傾向をたどっている言い方もあります。(に)
美化語とは、言葉を和らげ、聞いている人に好感を与えるもので、丁寧語の一部とされており、 既に取り上げた「敬意を表す接頭語や接尾語」との違いが近年曖昧になってきていると言われています。
美化語については、「お」を付けるか、「ご」を付けるかが、しばしば問題になります。 一般的には、「お心」「おふたり」のように、日本に古くからある和語には「お」を付けるのに対して、 「ご来店」「ご丁寧」のように、漢語には「ご」を付ける傾向がありますが、「お荷物」「お電話」のようなケースもあり、一概には言えません。 中には、「おかず」「ご飯」「お陰」のように、慣用的に定着しているものもあります。 また、片仮名で表記される外来語には「お」や「ご」を付けない、という原則がありますが、 最近は「おビール」「おトイレ」などサービス業関係者が使っているケースをよく耳にします。 こうした言葉は、日常的に使われることが多いため、外来語としての意識が薄れてしまっているためではないか、と指摘されています。
ただ、例えば、「あちらのお入口よりお入りください」というように、あまり使いすぎると却って慇懃無礼な印象を与えることもありますから、 注意が必要です。(に)
参考文献
・ 『読売新聞』2005年2月2日付
・ 『月刊日本語』1998年4月号、アルク
・ 『ビジネスマナー入門』梅島みよ・牧野真知子、日本経済新聞社
・ 『恥をかかない日本語の常識』日本経済新聞社
・ 『新・オトナの学校 仕事常識』安部健太郎、他、日本経済新聞社
・ 『実社会で求められるビジネスマナー』井上洋子、専門教育出版
・ 『問題な日本語』北原保雄、
・ インターネット:スペースアルク「ことばの使い方(社会言語学・敬語)」
・ インターネット:ポカポカ春庭のニッポニアニッポン言語文化研究
「おむすび」という言葉と、ご飯などをよそう時に使う道具である「しゃもじ」。 この二つの言葉にはどのような共通点があると思いますか。 …どちらもご飯に関係がある、ということではなく、その語源を考えてみてください。
正解は二つとも女房詞であることです。 女房詞とは、宮廷に仕える女房たちが使用していた忌み言葉です。 中世、宮廷に使えて天皇家の三種神器を守ったり、天皇の諸文書を扱ったりする仕事をしていた女房達は、 「けがれ」に関する言葉を避けて別の表現を使っていました。 「けがれ」ではなくても、食生活のように「俗」なる面を持つものについても、直接表現しないことが多かったのです。
つまり、「おむすび」も「しゃもじ」も、 高貴な仕事をしていた女房達が品位を保つために使っていた言葉が現在にも残っているということになります。(中)
女房詞には、どのようなものがあるでしょうか。そのパターンの代表的なものを見てみましょう。
「しゃもじ」は、「しゃくし」という言葉の頭の音に「文字」を付けて作られた言葉です。 これと同じパターンで作られた言葉には、「黒文字」「ひもじい」などがあります。 「ひもじい」は「空腹だ」という意味の言葉ですが、もとは「ひだるい」だったものが「ひもじ」という女房詞となり、 語末に「い」がついて形容詞化されたものです。 「ひもじい」で一つの独立した言葉のように感じられますが、実際は「ひ」+「もじ」+「い」だったんですね。(中)
「~もじ」のように元の言葉の一部を使うのではなく、全く別の表現に置き換えてしまうこともあります。 最初にあげた「おむすび」はこのパターンに入ります。元の言葉は「にぎり飯」です。
同じパターンの言葉には、「お冷し」(「水」の意味。現在は「お冷」という形でよく使われています)、 「お手許」(現在は割り箸などに使っていますが、「箸」の意味)、「お足」(「お金」の意味)、 綺麗な話ではありませんが「おなら」などがあります。 味噌汁を意味する「おみおつけ」は、ご飯に添えるものという意味で「お付」という女房詞が作られ、 丁寧な表現にする「御」が2回付け加えられてできた言葉だというエピソードをご存知の方もいらっしゃると思います。
つまり、「おみおつけ」を漢字で書くと「御御御付」ということになります。 こうしてみると、料理の名前であることすらもわからなくなりそうですね。(中)
女房詞は、高貴な仕事をしている女性達が品位を保つために、「けがれ」のある表現を嫌って作った言葉です。 当時と違って、現在では食事に関する言葉を避けようとする考え方はあまりないでしょうが、 あまりストレートに表現したくない言葉に対して違った表現が作られ、女性語となる現象は見られます。 例えば、「便所」という言葉を女性が口に出したら、周りの人はどう思うでしょうか。 以前は「はばかり」などという表現も使われていましたが、現在は「お手洗い」「化粧室」のような表現を使って、 直接口にしなくてもいいように言い換えていますね。
女房詞というと、古い言葉のように感じられますが、元は女房詞だったものが現在でも多く使われていますし、 同じような発想から言葉が生まれています。普段使っている言葉を、少し振り返って考えてみると面白いですよ。(中)
皆さんは、「食べることができる」という可能の意味で、次のどちらをよく使いますか。
A:私は納豆が食べられる B:私は納豆が食べれる
当養成講座の受講生でも最近はAよりBを使うという人が増えています。 このBの「ら」を抜いた形を「ら抜き言葉」と呼ぶことがありますが、これを日本語の乱れだと憤慨するA派がいます。 一方で「ら抜き言葉」はまだ文法的には許容されていないと話すと、自分も周りの人も使っているからこれでいいんだと開き直るB派もいます。
教師として、あるいは教師を目指すものとしては、ただお互いを非難するのではなく、 なぜこうなったのかという理由や原因を考えることが大切ではないでしょうか。 (イ)
言葉は変化するものです。 日本語もこれまで長い間、変化を続けてきました。またこれからも変化していくでしょう。その変化には何らかの理由があるはずです。
では、今回のテーマである「ら抜き言葉」が生まれたのはなぜなのでしょうか。 「食べれる」のように「食べる」などの一段動詞の可能形から「ら」がなくなったのは、 受身形(尊敬形)との違いを明確にするためだという考え方があります(*参考文献)。
可能形 受身形(尊敬形)
五段動詞 飲む 飲める 飲まれる
一段動詞 食べる 食べられる (→食べれる) 食べられる
カ変動詞 来る 来られる (→来れる) 来られる
誰かが「食べられた!」と言うのを聞いたとき、みなさんは何を想像しますか。 今まで食べることができなかったものを食べることができたのか、あるいは、誰かに自分の食べ物をとられたのか。 「食べられた」だけではこの区別はできませんよね。
つまり、機能が違うのであれば形も違っていたほうがわかりやすいという考え方です。(イ)
前回、「ら抜き言葉」誕生の理由を一つご紹介しました。 だったら、「ら抜き言葉」のほうが正しいじゃないか、ら抜き言葉をどんどん使おう、と言う人がいるかもしれません。 でも、ちょっと待ってください。例えば、次の一段動詞の可能形はどうなりますか。
1. あの人のことが A:忘れられないの。B:忘れれないの。
2. 明日、これを A:届けられますか。B:届けれますか。
「忘れる」も「届ける」も一段動詞ですが、Bの「ら抜き言葉」よりも、Aの「ら」を入れた形のほうが自然ではありませんか。 このように、拍数の多い一段動詞は「ら」を抜かないことが多いですので、全ての一段動詞に「ら抜き」が当てはまるとは言えません。
また、話し言葉では「ら抜き言葉」を使っていても、レポートやスピーチ、あるいは目上の人と話す場合などはあえて「ら」を入れる人もいます。
つまり、「ら抜き言葉」に対して、まだまだ批判的な考えを持つ人がいる以上、 使用する側が公的な場面と私的な場面とできちんと使い分けることも必要だということでしょう。(イ)
では、実際、この「ら抜き言葉」を日本語学習者にはどう教えていけばいいのでしょうか。 まずは、「食べられる」という「ら」を抜かない原則を教え、それが定着した後、最近の傾向として、 「食べる、見る、寝る、出る、来る」といった日常生活でよく使う身近な動詞で拍数の少ない場合は「ら」を抜くこともある、 と紹介するという方法があります。
日本人だから日本語を知っているとは言えません。無意識に話している私達日本人が一番日本語を知らないとも言えるのではないでしょうか。 日本語に携わる者として、自分が普段使っている日本語に対して、常に客観的な目を持つことを心がけたいものです。(イ)
参考文献
:『日本語ウォッチング』井上史雄 岩波新書
:『心を伝える日本語講座』水谷信子 研究社出版
皆さんは五十音図をご存知ですね。 あいうえお/かきくけこ/さしすせそ…という一覧表のことです。 今回は、知っているようで知らない五十音図の話をQ子さんとA男くんの会話で進めていきたいと思います。
Q子:どうして「五十音図」って言うの?
A男:「あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ」の10行×「あ・い・う・え・お」の5段(列とも言う)の、50音でできた図だからだよ。
Q子:「ん」は含まれないの?
A男:「ん」は、日本語の音の中では特殊な音なんだ。後ろに母音が続かないし、語頭には使われないから。 だから、五十音図ができた頃は含まれていなかったんだ。今は「ん」が書いてあるのも見るよね。
Q子:「がぎぐげご」や「きゃきゅきょ」や小さい「っ」は?
A男:五十音図ができた頃は、「がぎぐげご」のような濁音、「きゃきゅきょ」のような拗音、促音「っ」は、今のような書き方をしていなかったんだ。 例えば「逆」は「ぎゃく」じゃなくて「きあく」と書いていたようなんだ。
だから、五十音図には含まれていなかったんだよ。
Q子:ところで五十音図はいつできたの?(こ)
Q子:ところで五十音図はいつできたの?
A男:明治時代や江戸時代だと思っている人が多いけど、登場したのは平安時代の末期で、「いろは」ができたのよりも古いんだ。 でも、当時は仏教僧しか知らなかったから、一般の人が知るようになったのは、明治時代に学校教育で取り上げられるようになってからなんだよ。
Q子:どうして仏教僧は知っていたの?
A男:五十音図を作ったのが仏教僧だからだよ。仏教は、インドから中国を経由して日本に伝わったものだよね。 だから、日本人の僧たちが手にした経典は漢字で書かれていたけど、元々は古代インドの文語(サンスクリット)で書かれたものだったんだ。 それで、ところどころ中国語に翻訳されないで、サンスクリットの発音に近い漢字を使って書かれていることがあったらしいんだ。
Q子:じゃあ、僧たちは漢字の知識も、サンスクリットの知識も必要だったってこと?
A男:そういうこと。まだ日本には平仮名も片仮名もなかったから、僧たちは経典を読むとき、 知らない漢字の読み方を知っている漢字に置き換えてメモしておく必要があったんだ。でも、経典の狭いスペースに書かなければいけなかったから、メモとしての漢字は画数を省略して書かれるようになったんだ。 それが後に片仮名になったんだよ。(こ)
A男:漢字やサンスクリットに接したことで、仏教僧たちは日本語の音とそれを表記する文字に対する意識を高めることになったんだ。 彼らは、英語のabc… に当たるような、サンスクリットの音の並び方を知るようになったし、その順番が体系的であることも学んだ。 その音の中で、日本語の発音と共通する音を順に拾っていったら、「あいうえお」になった。 子音も同様に拾っていって、母音と組み合わせて、できたものを並べていった。こうして五十音図の元ができたんだ。
Q子:並び順が体系的って、例えば「あいうえお」は母音だからはじめに来るってこと?
A男:それだけじゃなくて、「かさたなはまやらわ」の順番にも意味があるんだ。 「か」の子音kは口の奥のほう(軟口蓋)で作られて、「さたな」のs・t・nは歯茎の辺りで作られて、「はま」は唇で作られるというように、 音が作られる場所が奥から前に並んでいるんだ。 「やらわ」は半母音というグループにまとめられる。 今は日本語の「ら」の子音rは半母音とは考えられていないけど、サンスクリットでは半母音と考えられていた音だったんだ。
Q子:ちょっと待って。「は」の子音hは唇を使わないんじゃない?(こ)
Q子:ちょっと待って。「は」の子音hは唇を使わないんじゃない?
A男:今の発音だと「は」の子音hは唇を使わない音だけど、五十音図ができた頃は唇を使っていたと考えられているよ。 「は・ひ・ふ・へ・ほ」は「ふぁ・ふぃ・ふ・ふぇ・ふぉ」または「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」のような音だったらしい。 それで、同じように唇を使う「ま」の子音mの前に「は」が来るんだよ。
Q子:へえ…。実は前から気になってたんだけど、「わ」の子音はwだから、「を」はwo「うぉ」って発音するのが正しいんだよね?
A男:今は違うよ。五十音図ができた頃は確かにそう発音していたけど、今は「あいうえお」の「お」と同じ発音だよ。
Q子:知らなかった。丁寧に発音するときはwo「うぉ」って言うものだと思ってた。それから、どうしてわ行にはい段・う段・え段がないの?
A男:昔は、い段にはwi「ゐ」、え段にはwe「ゑ」という発音と文字があったよ。 発音がなくなった後も文字のほうは残ってたけど、旧仮名遣いから新仮名遣いに変わったときに、文字も使わないことになったんだ。 う段には発音も文字も元々なかったんだよ。
Q子:じゃあ、や行のい段・え段がないのは?
A男:や行のえ段jeは五十音図ができるより前には発音されていたらしいけど、五十音図ができた頃にはもうなくなっていたんだ。 い段には発音も文字も元々なかったんだよ。
Q子:五十音図っていろいろなことを考えるヒントを与えてくれるね。
さて、Q子さんとA男くんの話はいかがでしたか。 もし、五十音図が作られていなかったら、辞書も名簿も五十音順になっていなかったわけですね。
外国人がはじめて仮名を覚えるときにも、五十音図を使います。皆さんももう一度、五十音図を眺めてみてはいかがでしょう。(こ)
参考文献
・『日本語教育講座4 日本語の歴史』千駄ヶ谷日本語教育研究所
・『五十音考』西野博二 http://www.asahi-net.or.jp/~va4h-nsn/on50.htm
「2幕でスタンバっているときなんか、緊張して、周りの人に話しかけられても答えられないんですよ。」
以前読んだ雑誌の中に、舞台俳優さんの言葉としてこのようなものがありました。 この言葉の中には、本来外国語であるものが、日本語の動詞であるかのように使われている部分があります。 …カタカナ表記なのでおわかりですね。「スタンバっている」という部分です。 日本語のみで表現するとすれば、「準備している」或いは「待っている」という言葉に言い換えられます。
この「スタンバる」のように、外国語を日本語の動詞のように使う表現が、特に若者の間でよく見られます。 皆さんはこのような言葉をどう思われますか。(中)
「スタンバる」という言葉を文法的に考えてみましょう。 元は英語のstand by"です。それに接尾語「る」をつけて、日本語の動詞のようにした合成語です。 「スタンバって」となる活用形から見ると、「取る」「頬張る」と同じ五段動詞の扱いです。 同じように作られた言葉に、「テンパる」というものもあります。 「麻雀で、あと一枚で上がること」「薬物で混乱すること」という意味だそうですが、 最近は「いきなり英語で話しかけられて、テンパってしまった」「テスト続きで今はテンパっているから、何かあったら来週言って」 のような言い方も耳にすることがあります。これらは「混乱して頭が真っ白になる」「自分の許容量を超える状態で混乱する」のような意味でも使われているのでしょう。 この「テンパる」は、麻雀の「テンパイ」(あと一枚で上がりとなること)に「る」をつけた形です。 「テンパイ」は中国語の"听牌"から来た言葉ですので、中国語が日本語に変わったということですね。(中)
前に挙げた「スタンバる」「テンパる」などのような言葉は、若者に多く見られる表現ですので、 「自分はそんな言い方はしない」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。 しかし、今はすっかり定着している言葉にも、 元は外国語だったのに「スタンバる」のように接尾語「る」をつけて日本語化してしまったものがあります。
代表的な例としては「ダブる」「サボる」が挙げられます。 「ダブる」は英語のdouble"、「サボる」はフランス語の "sabotage"が元の形です。 これらは平仮名で「だぶる」「さぼる」と表記する人もいるくらい、日本語として定着しています。 「スタンバる」や「テンパる」も、何(十)年後かには同じようになるかもしれませんね。ちなみに「サボる」は1919年の神戸川崎造船所の労働争議で「サボタージュ」という言葉が使われ、その後すぐに派生したそうです。 80年以上前から使われている言葉なんですね。(中)
私たちが言葉を使うとき、「話の効果が上がるように」「意思が伝わるように」という観点から言葉を選びます。 本来ある日本語の表現を使わずに、「スタンバる」のように外国語を日本語化した表現を選択することによって、 話し手はどのような効果を意図しているのでしょうか。
「アイデンティティー」「フラストレーション」のような外来語を使う理由として、 「かっこいい感じがする」「新しい感じがする」「日本語に適当な訳語がない」などが挙げられますが、 外国語を日本語化した言葉の使用も、同じような理由になるのではないでしょうか。 先にご紹介した俳優さんの言葉も、「2幕で(袖で)待っているとき」と言い換えられますが、 (ご本人の実際の意図はわかりませんが)「待っている」という訳語では表しきれない 「すぐに出られるように準備して待っている」という緊張感を表したかったのではないかと考えることができます。
若者によって新しく作られた言葉・表現は、「日本語の乱れ」などマイナス評価を受けることがあります。 しかし、本来ある日本語では表現しきれないニュアンスを伝えるために言葉が生まれるという現象は以前からあるものですし、 逆に日本語を豊かにしているとも考えられます。新しく生まれる言葉についていけるように、心の中で「スタンバって」おきましょう!(中)
みなさんはどちらを使いますか。
A:「ねえねえ、この道、ちがくない?」
B:「ねえねえ、この道、ちがわない?」
A:「あ、ごめん、ちがかった」
B:「あ、ごめん、ちがった」
A:「友達に書いてもらった地図がちがくてさあ、道に迷っちゃったよ」
B:「友達に書いてもらった地図がちがっててさあ、道に迷っちゃったよ」
正解はどれもBです。でも、最近Aの方をよく耳にしませんか。 では、なぜこのAの言い方をする人が増えてきたのでしょうか。 単純に「言葉の乱れ」と言い切れない要素もあるようです。次回から、その原因を探っていきたいと思います。(イ)
では、「ちがかった」を文法的に分析していきましょう。
まず、「違う」の品詞は何でしょうか。 品詞とはある単語をその単語が持つ文法的な特徴によってグループ分けしたものなのですが、「違う」は動詞に分類されます。
動詞の文法的特徴を挙げると、活用(語尾変化)して、 言い切った形(終止形)が「う段」で終わる(会うu・書くku・話すsu・立つtsu・読むmu・・・)ものだと言えます。
では、動詞の中で「違う」と同じく、「あ行」の「う段」である「う」で終わる「会う」「使う」「笑う」はどんな活用をするのでしょうか。 見てみましょう。
否定 過去 接続
会う あわない あった あって
使う つかわない つかった つかって
笑う わらわない わらった わらって
違う ちがわない ちがった ちがって
*ちがくない *ちがかった *ちがくて
同じ「う」で終わるものは活用の仕方が同じだということがわかりますね。
では、「ちがくない」「ちがかった」「ちがくて」のように、否定を表す時に「~くない」、 過去を表す時に「~かった」、接続する時に「~くて」と活用する品詞は何なのでしょうか。(イ)
前回、「違う」が動詞だというお話をしましたが、最近よく耳にする「ちがくない」「ちがかった」「ちがくて」のように、 否定を表す時に「~くない」、過去を表す時に「~かった」、接続する時に「~くて」と活用する品詞があります。さて、何だと思いますか。 答えは形容詞です。形容詞は、動詞と同じく、活用する品詞で、言い切ったときに「い」で終わるという特徴があります。 >前回、「違う」が動詞だというお話をしましたが、最近よく耳にする「ちがくない」「ちがかった」「ちがくて」のように、 否定を表す時に「~くない」、過去を表す時に「~かった」、接続する時に「~くて」と活用する品詞があります。さて、何だと思いますか。
答えは形容詞です。形容詞は、動詞と同じく、活用する品詞で、言い切ったときに「い」で終わるという特徴があります。
否定 過去 接続
おいしい おいしくない おいしかった おいしくて
あかい あかくない あかかった あかくて
違う *ちがくない *ちがかった *ちがくて
「違う」が否定も過去も接続する時も形容詞と同じ活用をしているのがわかりますね。 つまり、「ちがくない・ちがかった・ちがくて」は文法的に見て、確かに間違いは間違いなのですが、一本筋の通った間違いなのです。 「ちがくない・ちがかった・ちがくて」と統一して使っている人は、それがたとえ無意識であったとしても、 「違う」を形容詞の仲間と捉えていると考えられます。
では、このような品詞の混乱が生じたのはなぜなのでしょうか。これは、「違う」という動詞が持つ性質のせいだと思われます。
一般的に、動詞というと、「食べる」「歩く」といった何か動作を伴うものというイメージが強いですね。 それに比べて、「違う」は動作というより状態を表しています。
状態を表す述語には、「違う」の他にも「ある・いる」「思う」「できる」などの状態性動詞や、 形容詞(「この本はおもしろい」)・形容動詞(「桜がきれいだ」)・名詞(「彼は社長だ」)が含まれます。 つまり、「違う」は意味的には、動詞というより形容詞に近いと言えるわけです。
また、「違い」という名詞がありますが(「違いがわかる男」「AとBの違いを述べよ」)、 これが形容詞のように「い」で終わるという点も、名詞・動詞・形容詞のどれかで混乱する要因の一つかもしれません。(イ)
前回、「ちがかった」という誤用が生まれた原因を考えました。 そこには「違う」という動詞の形容詞的な性質が関係していて、「言葉の乱れ」と単純には言い切れないこともわかりました。 ただ、これを読んで、「じゃあ、『ちがかった』って言ってもいいんだ」と考えるのは少し短絡的ではないでしょうか。 家族や友達などの内輪でのくだけた会話であれば自由でしょうが、 公的な場面で「それはちがくありませんか?」「この電話番号はちがくて、~」「あの件はちがかったと思われます」などと言ったとしたら、 社会人としての常識を疑われるかもしれません。 また、日本語学習者に対しても、「ちがかった」が正しいと教えたとしたら、品詞の概念や活用のルールという点において、 学習者を混乱させてしまいます。
言葉の変化を客観的に捉え、その変化の原因や過程に思いをはせつつ、時と場合によって使い分けられる、 そんなバランス感覚を持った言葉の使い手になりたいものです。(イ)
タイトルを見て「鼻濁音って何?」と思った方は、「がぎぐげご」を発音するときに鼻からも息を出してみてください。 それが鼻濁音です。それでもよく分からない方は、「津軽海峡冬景色」と歌う石川さゆりの歌い方を思い浮かべてみてください。 「つがる」の「が」、「ふゆげしき」の「げ」の部分が鼻に掛かっていますね。 皆さんは「がぎぐげご」や「ぎゃぎゅぎょ」を発音するとき鼻濁音を使っていますか。
当校の日本語教師養成講座の受講生を調べてみると、鼻濁音を使っている人は全体の1割以下です。 それほど使用率が低いにもかかわらず、「鼻濁音を使わないことが問題視される」ことがあります。なぜでしょう?(こ)
「がぎぐげご ぎゃぎゅぎょ」の発音にはいくつかのバリエーションがあります。 元気よくはきはきと「しょうがっこう!」と言ったときの「が」と、 弱々しく「しょうがっこう…」と言ったときの「が」が違うのは何となくわかりますね? さらに「が」の部分で鼻からも息を出して「しょうがっこう」と言ったときは、また違う「が」の音です。 このように「しょうがっこう」の「が」のような語中のが行の音は、3種類の発音の可能性があります。 そのどれで発音しても意味は変わらないので、私達はあまり意識せずに発音しています。
ところが、日頃から語中で鼻に掛かった「が」、つまり鼻濁音を使っている人は、鼻濁音以外の発音を聞くと違和感を抱く傾向があります。 最近ではその逆に、鼻濁音を使っていない人は鼻濁音に対して違和感を抱くようにもなってきています。 当校の日本語教師養成講座で鼻濁音を発音して聞かせると、笑いが起こります。(こ)
鼻濁音を使う、使わないには、地域差が大きいと言われていて、関東、東北、北陸で多く用いられ、 西日本ではあまり用いられないとされています。 当校の日本語教師養成講座の受講生の中には関東、東北、北陸地方出身者もいますが、前述のとおり鼻濁音を用いている人はほとんどいません。
少数派の鼻濁音使用者に、もともと使用していたのかどうか聞いてみると、アナウンサーになる勉強をしたのがきっかけだったり、 小学校のときの先生に「私が」の「が」を鼻に掛けるように言われたのがきっかけだったりしていて、 それ以降意識的に鼻濁音を使用するようになったとのことです。 もっとも、現在ではアナウンサーだからといって皆さんが鼻濁音を使っているわけではないようですが、 それでもアナウンサーの新人研修の項目に含まれているのは、 語中のが行で「鼻濁音を使わないのは聞き苦しい」という視聴者からの指摘があるからだそうです。(こ)
アナウンサーの世界はさておき、日本語教育の世界では鼻濁音はどう扱われているのでしょうか。 当校の日本語教師養成講座で使用しているテキストには次のように書いてあります。 「音声教育の面から大切なのは、(中略)教師としての自分の普段の発音を自覚し、学習者には、 破裂音でも鼻音でも意味は変わらないことを教え」ることだとなっています。 破裂音というのは、元気よくはきはきと「しょうがっこう!」と言ったときの「が」で、鼻音というのは鼻濁音のことで、 このほかに弱々しく「しょうがっこう…」と言ったときの摩擦音の「が」もあります。 日本語を学習している外国人を観察していると、教師が破裂音と摩擦音を使っているときには問題はないのですが、 鼻濁音を使うと、「?」という反応が見られます。 チームティーチングで複数の教師が教えると、鼻濁音を使う少数派の教師の発音のほうを聞き取りにくそうにしています。 思うにこれは、鼻濁音が聞き取りにくいのではなく、ほかの教師からは聞かれない音が、 ある特定の教師のときには聞かれることへの違和感なのでしょう。 「鼻濁音はきれいな発音なのだから存続させるべきだ」と考えている方にとっては意外かもしれませんが、 日本語教育の現場においては学習者の聞き取りやすさを考慮して、鼻濁音を意図的に使わないようにすることもあるのです。(こ)
参考文献
・『日本語教育講座2 音声、語彙・意味』千駄ヶ谷日本語教育研究所
・『NHK日本語発音アクセント辞典』NHK出版
外国人に日本語を教える際には、細心の注意を払って授業準備をするのですが、思わぬところで「あ、しまった」ということが生じます。 例えば、クラスでスピーチをする順番を決めようというとき。 「じゃあ、じゃんけんで順番を決めて!」と言うと、生徒たちはきょとん…。 「あ、じゃんけんを知らないんだ…」。そこで、じゃんけんを教えることになります。 「じゃんけんぽんと言って、手で石を表すグー、はさみを表すチョキ、紙を表すパーの形を作ります。 グーとチョキならグーの勝ち、チョキとパーならチョキの勝ち、パーとグーならパーの勝ちです。」と言いながら、やってみせます。 じゃんけんは多くの国にあるようですが、文化紹介になりますから日本式を教えます。 ところが、いざ、教えようとすると、「じゃんけんぽんでいいんだっけ?じゃんけんぽい?」「あいこでしょ?あいこでしょい?」と、 混乱することがあります。こういう言葉はあまり活字で見ることがないものですから。(こ)
広辞苑で「じゃんけん」を調べてみました。 そこには、「じゃんけんぽい:じゃんけんぽんに同じ」「じゃんけんぽん:じゃんけんをするときの掛け声」とありました。 そこで、実態はどうなのだろうと思い、職場の日本語教師仲間と事務スタッフに聞いてみました。数字の後は出身地です。
1 東京(23区) じゃんけんぽん あいこでしょ +じっけった
2 神奈川(横浜) じゃんけんぽん あいこでしょ +じっけった +おーらった
3 鳥取(米子) じゃんけんぽん あいこでしょ +じっけった
4 大阪(吹田) じゃんけんぽん あいこでしょい
5 鹿児島(鹿児島) じゃんけんぽん あいこでしょ
6 岐阜(関) じゃんけんぽい あいこでしょ
7 福島(会津若松) じゃんけんぽい あいこでしょ
「_ぽん/ぽい」ともに、使われているというのが、この結果からも明らかになりました。 あいこの場合も「_しょ/しょい」両方使われていました。 ただ、「じゃんけんぽん(ぽい)」以外の言い方でじゃんけんをすることがあるかという質問の答えには、差がありました。 「じっけった/ちっけった(さらに、横浜出身者はおーらった)」という言い方をするという者と、ほかの言い方はしないという者に分かれたのです。 「じっけった」とは、音からして「じゃんけんぽん」を簡略化した言い方のように思えます。 では、「じゃんけんぽん」とはどういう意味なのでしょうか。(こ)
広辞苑によると、「じゃんけん」という言葉は「石拳」から起こったもののようです。 ということは、グー、チョキ、パーとある中で、中心的なのは「グー」ということになるのでしょうか。 もしかすると、「最初はグー」と言ってじゃんけんをスタートするのは、ここから来ているのかもしれません。
ところで、前回、職場でじゃんけんの掛け声の調査結果を挙げましたが、「最初はグー」を使う者がいなかったのは意外でした。 ただ、「真剣に、気合を入れてじゃんけんをするときは、最初はグーと言う」という者はいましたが。 テレビで芸能人がじゃんけんをしているのを見ると、必ずと言っていいほど「最初はグー」でスタートしています。 「最初はグー」の起源はザ・ドリフターズだそうです。 テレビでドリフが言っているのを聞いて真似し始めた人は、30代半ば以下の人です。 「最初はグー」は意味としては分かりやすいですね。「最初は必ずグーを出そう」というわけですから。
でも、なくてもいい言葉をわざわざ言うというのはどういうことなのでしょう。(こ)
じゃんけんをするときは「じゃんけん…」と言いながらリズムを取り、「ぽん(ぽい)」で手を出しますね。 「最初はグー」がその前に付くと、リズムを取る時間が長くなります。 その分、心の準備をしてから勝負に入ることができるというわけです。 私の職場で調査した際に、「真剣に、気合を入れてじゃんけんをするときは、 最初はグーと言う」という者がいましたが、「最初はグー」の部分で気合を入れているのでしょう。
職場で調査した際に、もうひとつ聞いてみたことがあります。 複数の人間を2グループに(特に半々に)分けるときに、どんな掛け声を掛けるかということです。
1 東京(23区) ぐっぱーじゃす
2 神奈川(横浜) ぐっとっぱ +ぐっちっち
3 鳥取(米子) ぐーとぱーでくみしましょ(わかれましょ)
4 大阪(吹田) ぐーぱーぐーぱーぐーぱーしょい
5 鹿児島(鹿児島) うーらーおーもーて
6 岐阜(関) ぐっちっぐっちっぐーっち
7 福島(会津若松) うーらーおーもーて
こちらは、ふつうのじゃんけんの掛け声よりバラエティーに富んでいました。 文字で書くことはできませんが、リズムやメロディーにもかなりの差がありました。
特に目立ったのは、東京と神奈川は「ぐっ/ぱー/じゃす」「ぐっ/とっ/ぱ」と3拍なのに対し、ほかは拍数が長いということです。 特に鳥取の「ぐーとぱーでくみしましょ(わかれましょ)」はのんびりと、ゆったりした感じが優しくていいですね。(こ)
先日、食事に入った店で、そのお店の年配の女性が「お待たせしましたねえ。こちらおでんになりま すよ。」と丁寧に言いながら、おでんの皿を差し出しました。皆さんもレストランやお店などで「~になります。」と言われたことがありませんか。私も「こち らデザートになります。」などよく耳にしますが、そのおでんのときは何とも言えない違和感を覚えました。こういう言い方は若い人に多い言い方だと思ってい たため余計そう感じたのかもしれません。
「~になる」は、本来、「掃除をすれば部屋がきれいになる。」というように変化を表す表現です。「になる」の前に接続するものは、これから変化したあと のもの、もしくはその状態ですから、おでんとして出来上がったものを「おでんになります。」というのは文法的に正しい表現ではなく、過去の表現として「お でんになりました。」というのが文法的には正しいわけですが、お店の人が注文品をお客の前に差し出す時に「おでんになりました。」というのは何とも奇妙な 光景です。
では、どうして接客の際に「~になります。」が使われるのでしょうか。
それは、「~です。」と言い切るよりも「~になります。」と言った方が曖昧なぼかしの表現になり、丁寧に聞こえると考えられているからです。
最近、このような丁寧語が増えていて、「新丁寧語」と呼ばれています。(に)
「新丁寧語」とは、1990年代から主に若者の間で広まり始めた新しい言葉遣いのことです。
前回取り上げた「こちらデザートになります。」の他、「1000円からお預かりします。」「紅茶の方お持ちしました。」「鈴木様でございますね。」「ご注文はカレーとコーヒーでよろしかったでしょうか。」などがあります。
これらの表現は、元々コンビニエンスストアやファミリーレストランなどで仕事をするアルバイターの中から生まれたと考えられており、「バイト語」とも呼 ばれています。背景として、家庭や学校で敬語がきちんと教えられていないことや、社会でも言葉遣いがきちんと指導されないことなどいろいろな指摘がありま すが、一気に広まり、昨今は、コンビニやファミリーレストランに限らず様々な接客の場で耳にすることがあります。また、使っている人も若者ばかりではあり ません。
これらの表現の共通点は、断定を避け曖昧にぼかすところにあります。例えば、(1)「最近、お仕事はいかがですか。」と(2)「最近、お仕事の方はいかがですか。」を比べると、(1)より(2)の方が、相手の個人的なことをあからさまに尋ねるという印象がやわらいで、丁寧に聞こえることは確かです。
では、「紅茶の方をお持ちしました。」はどうでしょうか。「~の方」には、比較の用法もありますから、前の段落で述べた中にもあるように、「~より~の 方が」という形でふたつのものを対比的に述べる場合に使うことがあります。例えば、ケーキと紅茶を注文したお客さんに「(ケーキではなく)紅茶の方をお持 ちしました。」と言うのであれば問題はありません。しかし、紅茶一つ注文したお客さんに対して「紅茶の方をお持ちしました。」というと違和感が生じます。 対比的に述べる状況ではありませんし、この場面では単なる事実を述べているのであって、曖昧にぼかす必要がないからです。従って、「紅茶をお持ちしまし た。」が適切な言い方です。(に)
新丁寧語として、「1000円からお預かりします。」という場合の「から」もしばしば問題になります。
「から」は起点を表す表現で、「うちから会社まで1時間です。」や、「10から3を引くと7です。」というように使われます。
新丁寧語として使われている「から」は、例えば、800円の商品を購入しようとしているお客さんがレジで千円札を出した場合に、お店の人が「1000円 から代金の800円をお預かりします。」という文の省略として使われ始めたのではないか、とか、「1000円から釣銭の200円を一旦お預かりします。」 というニュアンスで使われ始めたのではないか、などいろいろな説がありますが、昨今では釣銭があろうとなかろうと関係なく「~円からお預かりします。」と 言われることが多いようです。これも、断定を避け曖昧にぼかす結果丁寧になると考えられて使われているわけですが、「紅茶の方をお持ちしました。」という 場合と同様、ここでは金銭授受の場面で事実を伝えているので、曖昧にぼかす必要はなく、「1000円お預かりします。」と言うのが適切な言い方です。 (に)
相手に対して「鈴木様でございますね。」という言い方も新丁寧語として問題になります。
「ございます」は「ある」の丁寧語です。丁寧語は、本来、話し手から聞き手に対する敬意を表現するもので、「ございます」は、例えば、自分の名前を名乗 るとき「佐藤でございます。」と言ったり、相手に対して「お尋ねすることはございません。」と言ったりすることからもわかるように、通常話し手側に関わる ことに使われます。相手に関しては、尊敬語を使った方が適切で、「鈴木様でいらっしゃいますね。」「ご質問がおありでしょうか。」といった言い方が正しい です。
しかし、「~でよろしかったでしょうか。」は一概に不適切とは言えないので、少々厄介です。
この言い方で問題になるのは、例えば、4人でレストランへ入店した時に、案内係の人が「4名様でよろしかったでしょうか。」と言う場合や、お店の人が「ご注文は以上でよろしかったでしょうか。」と言うような場合です。
「よろしい」と「よろしかった」の違いは、「よろしい」が現在を表し、「よろしかった」が過去を表すということですから、4人で入店したばかりのお客さ んに対して「4名様でよろしかったでしょうか。」と言うのは不適切で、「4名様でよろしいでしょうか。」の方が正しい言い方です。「よろしいでしょう か。」が強い言い方で丁寧なニュアンスが伝わらないという抵抗感がある場合は、ここも尊敬語を使って「4名様でいらっしゃいますか。」と言う方がより適切 ということになります。
しかし、状況によっては「~でよろしかったでしょうか。」が適切な場合もあります。(に)
レストランでの注文場面で、お客さんがカレーとコーヒーを注文したその場で、お店の人が「ご注文はカレーとコーヒーでよろしかったでしょうか。」と言う と、お客さんが違和感を抱くことがあります。この場合、注文を聞いたその場ですから、「ご注文はカレーとコーヒーでよろしいでしょうか。」と言うのが適切 で、軽く確認するのであれば、「カレーとコーヒーをお召し上がりですね。」という言い方もあるでしょう。
しかし、注文が錯綜し、お店の人が注文を受けた後でお客さんに確認するような場合、「ご注文はカレーとコーヒーでよろしかったでしょうか。」が適切ということになります。従って、この言い方については適切かそうでないかは状況次第ということです。
新丁寧語について取り沙汰されるようになってから、サービス業界でも新たな対応が見られるようになりました。大手のファミリーレストランチェーンには 「~になります」「~円からお預かりします。」「~の方」「~でございますね。」「~でよろしかったでしょうか。」を「五大禁止用語」と位置付けて「非常 識用語の撲滅」に努めているところもあります。また、格式が問われる高級ホテルチェーンの中にも同様の動きが見られます新丁寧語が「きちんとしていない」 という印象を与えているのは確かなようです。
2000年に国語審議会から出された答申で、敬語の枠を広げ、相手との関係や場面に配慮した「敬意表現」の新たな枠組みが示されましたが、敬語表現の本 来の姿をよく理解した上で、人間関係に配慮し、状況に応じて表現を使い分ける姿勢が大切なのではないかと思います。(に)
<参考文献>
・『現代社会における敬意表現』国語審議会 2000年12月8日答申等
・『朝日新聞』2005年7月13日付
・『新・オトナの学校 仕事常識』日本経済新聞社編
・『問題な日本語』北原保雄編、大修館書店
・「ことばの散歩道」http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/kotoba.htm
・「奇妙な日本語ミシュラン」http://homepage2.nifty.com/snufkin/nihongo.html
・「スペースアルク・日本語Q&A」http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa
最近よく耳にする言葉で不自然だなと思うものに、「さ入れ言葉」があります。誰が名付けたのかわかりませんが、本来は必要のないところに「さ」を入れて しまうという傾向です。前にこのコーナーでも扱った「ら抜き言葉」( バックナンバーの目次へ戻るをご参照ください)ほど一般的ではないかもしれませんが、例を聞けば、 皆さんもああ、あれねと思い当たるのではないでしょうか。例えば、「行かさせていただきます」「送らさせていただきます」・・・、どうですか。パソコンで この「さ入れ言葉」を入力しようとすると、なかなかうまく変換できません。「行かさせていただきます」は「活かさせていただきます」、「送らさせていただ きます」は「遅らさせていただきます」と変換されてしまいます。それぞれ「さ」を入れずに「行かせていただきます」「送らせていただきます」と入力すれば 正しく変換できますので、この変換ミスは「さ入れ言葉」が文法的に間違っていることの表れと言えるでしょう。(イ)
前回、「さ入れ言葉」は文法的に間違っていると言いましたが、「(司会を)務めさせていただきます」「説明させていただきます」のように「さ」を入れる べきものもあります。この「さ」の有無の是非は次回考えるとして、そもそも「~せて(させて)いただきます」とはどんな意味を持つ表現なのでしょうか。こ れは、使役の助動詞「せる/させる」に「いただく」を付けて、自分の行為をへりくだって表明する言い方です。使役とは他者に何かの動作を強制・許可すると きに使われる表現、「いただく」は「もらう」という授受動詞の謙譲語ですので、「行かせていただきます」は許可をもらって動作を行うというニュアンスにな ります。「行きます」とはっきり言い切るより婉曲的に聞こえる敬意表現としてよく使われているのですが、一方で過剰な使用を問題だとする声もあります。誰 かの許可や好意のもとで動作を行うわけではないときにも「~せて(させて)いただきます」を多用することで、逆に慇懃無礼に聞こえてしまうという意見で す。敬意表現だからといって、何でもかんでも使えばいいのではなく、聞き手を不快にさせない言葉遣いを心がけなければいけませんね。(イ)
「さ」を入れてもいい、入れてはいけないという判断はどのように行えばいいのでしょうか。以前扱った「ら抜き言葉」同様、今回の「さ入れ言葉」にも、五 段動詞・一段動詞といった動詞の活用によるグループ分けが関係しています。日本語教育では、使役の助動詞「せる/させる」は「使役形」と呼ばれ、動詞の活 用形の一つとして教えることが多いです。五段動詞は「行く(IKU)→行かせる(IKA+SERU)」「送る(OKURU)→送らせる (OKURA+SERU)」「話す(HANASU)→話させる(HANASA+SERU)」のように、語尾のウ段の音をア段に変えて「せる」を付けます。 これに対して、一段動詞は「いる→いさせる」(上一段動詞)「務める→務めさせる」(下一段動詞)のように、語尾の「る」を「させる」に変えます。五段動 詞と一段動詞の変形ルールの違いは、一段動詞の使役形には必ず「さ」が入るという点です。(イ)
前回、五段動詞と一段動詞の変形ルールの違いは一段動詞の使役形には必ず「さ」が入るという点だとお話ししました。しかし、五段動詞でも、語尾が「す」 で終わる動詞は「話す(HANASU)→話させる(HANASA+SERU)」のように「~させる」になります。また、変則的な活用をするカ変動詞の「来 る」、サ変動詞の「する」もそれぞれ「来させる」「させる」となり、やはり「さ」が入ります。そのため、五段動詞と一段動詞・カ変動詞・サ変動詞の変形 ルールの違い、ひいては動詞のグループ分けそのものがあいまいになり、五段動詞にも一段動詞のように「さ」を入れてしまったのが「さ入れ言葉」なのです。 日本語を母語とする者は普段あまり文法を意識して話しませんので、どんな動詞でも「させる」を付ければいいという単純なルールを作ってしまった気持ちもわ かります。ただ、「ら抜き言葉」誕生には一段動詞・カ変動詞において可能形と受身形(尊敬形)の違いを明確にするためという理由があるのに対して、「さ入 れ言葉」にはその誕生を正当化する理由が特に見当たりませんので、やはり文法的に間違った表現と言わざるを得ません。(イ)
あるテレビ番組でレストランの店長役のタレントが客に向かって「何でも作らさせていただきます」と言っていました。さて、これは「さ入れ言葉」なので しょうか。もし、料理を「作る」シェフ本人がこう言ったとしたら、「(私が)作る」という行為を「させていただく」という意味になりますので、五段動詞で ある「作る」は「さ」を入れない「作らせていただきます」が正しいと言えます。しかし、店長がシェフに「作らす」(「作らせる」という使役形の短形)場合 は、「(私が料理人に)作らす」という行為を「させていただく」という意味になりますので、「作らす(TSUKURASU)→作らさせる (TSUKURASA+SERU)」となり、「作らさせていただきます」は必ずしも間違いとは言い切れません。ただ、たとえ店長自身は料理を作らなくて も、客に対して料理を出す側の発言と考えれば、「料理を出す=作る」行為を「させていただく」という意味で、やはり「作らせていただきます」が適切だとは 思います。
「ら抜き言葉」のように「抜く」という現象は理解できますが、なくていいものをあえて「入れる」というのはあまり合理的とは言えませんし、単純に言いに くく、耳障りも良くないと感じてしまうのは私だけでしょうか。日本語を教えていて、使役形がうまく使えない学習者をたくさん見てきましたが、日本人にとっ ても難しい表現だということですね。皆さんは正しく使い分けができていますか。(イ)
電車の中の広告を眺めていたとき、こんな表現が目に飛び込んできました。
「紳士な服」
これはファッション雑誌の広告にあった見出しの一部です。私個人は違和感があるのですが、みなさんはどう思われますか。
文法的に見た場合、「紳士」も「服」も名詞です。名詞同士が接続するときは「コンピューターの雑誌」「日本語の授業」のように「AのB」という形になり ます。つまり、「紳士」と「服」を接続させようとすれば、「紳士の服」となるはずなのです。文法的には正しいといえない「紳士な服」のような表現は、なぜ 生まれたのでしょうか。例は他にもあるのでしょうか。以前、外国語が日本語に変化する例についてお話しましたが、今回は日本語の中での変化について考えて みましょう。(中)
新しい言葉の生まれ方には、いくつかのパターンがあります。主なものをご紹介しましょう。
a.これまでになかった概念が外から入ってきたときに、その概念を言い表そうとして、まったく新しく言葉を作る。(例:「哲学」など)
b.既存の言葉を結合させる。(例:「テロ」+「対策」→「テロ対策」など)
c.既存の語に接頭辞や接尾辞をつける。(例:「可能」+接尾辞「~性」→「可能性」など)
d.既存の語の機能や意味を変えて、別の品詞としてはたらかせる。(例:「物語る」→「物語」など)
e.既存の語を省略する。(例:「文部科学省」→「文科省」など)
f.外国語や古語、方言などから語彙を受け入れる。(例:「しんどい」など)
g.文字・表記から新しく語を作る。(例:「八十八」歳のお祝い→「米寿」など)
「紳士な服」の「紳士な」という言い方は、これらの分類で見るとdに当たるのではないでしょうか。(中)
名詞である「紳士」が形容動詞的に「紳士な」と使われている例に見られるように、品詞を変化させることによって新しい表現を生む例を見てみましょう。 「紳士な」と同じく名詞が形容動詞的に使われる表現には、「君はずいぶん大人な考えをするね」の「大人な」があります。その他、「めんどうだ」という言葉 から生まれた「めんどい」は形容動詞が形容詞になっています。少し前に『問題な日本語』(北原保雄/編 大修館)という本が流行りましたが、この本のタイ トルが「問題の」ではなく「問題な」とされているところからも、品詞を変化させるタイプの新しい表現が最近多いと著者が思っていることがうかがえます。ち なみにこの本の中には、「すごいおいしい」という表現が正しいのかどうかというトピックが取り上げられています。「すごい」のような形容詞を連用修飾に用 いる場合には「~く」(「すごく」)という形になるため、文法的にいえば間違っていることになります。しかしこの本では、「えらい疲れた」や「おそろしい 光る」のように形容詞を副詞的に使用している例は漱石や尾崎紅葉の文学に既に見られ、「すごい立派」などの表現もそれほど古くはないとはいえ、文学作品の 中に見られるという例を挙げ、誤りと見なさずに副詞として考えてもいいのではないかと提案しています。(中)
「紳士な服」「大人な考え」のような表現が正しいのか誤りなのかはさておき、なぜこのような表現が使われるのかを考えてみましょう。
新語が生まれる理由はいろいろありますが、その一つは、「表現したい対象に新しいイメージを植えつけたい」という意識です。集合住宅のことを 「アパート」と呼んでいたのが、高級感を出そうと「マンション」という新たな表現を使い始めた例などがこれにあたります。最近では「億単位の高級マンショ ン」というさらに上のイメージを言い表すため、「オクション」という表現も(定着しているかどうかは別として)生まれました。「紳士な服」も、次の季節に 流行らせたい服のイメージをはっきりさせるために生み出された表現ではないかと思われます。回りくどい言い方をすれば、「気品・学徳を備えた礼儀正しい男 性の雰囲気をかもし出す服」ということを表現したいのでしょうが、「紳士」を名詞ではなく形容動詞として扱い、「紳士な服」と短く言い表すことで、広告に 必要なインパクトを与えることができます。このようにして生まれた新しい言葉が広告という目的を超えて一般化していき、「大人な考えをするね」と普通に使 われるようになっているのでしょう。
新しい言葉に対しては違和感があることもありますが、なぜそんな表現が生まれたのか、相手は何を表現したかったのかを考えてみると面白いのではないでしょうか。(中)
参考文献
『問題な日本語』北原保雄/編 大修館 (2004年12月10日)
『新版日本語教育事典』社団法人日本語教育学会 大修館 (2005年10月1日)
『講座日本語と日本語教育6 日本語の語彙・意味(上)』玉村文郎/編 明治書院 (平成元年8月30日)
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