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日本語の美しさ4

第148回 色を使った表現1・「赤」1

・あの人と私はそもそも赤の他人なんだから、あの人がどうなろうが、私には関係ないのよ。

・あんな青二才のことなんて、気にすることはない。

・まるで私と会うのが初めてであるかのように、彼は白々しい挨拶をした。

上の文の「赤の他人」「青二才」「白々しい」等、色を使った表現はたくさんあります。私たちは色を使って、どのような意味を表現しようとしているのでしょうか。今回は「赤」を取り上げます。

「赤」を使った言葉を『大辞林』で調べたところ、固有名詞なども含めて448個もありました。先ほども挙げた「赤の他人」の他に、「赤々」「赤痣(あかあざ)」「赤ちゃん」等等。色々な言葉がありますが、これらの「赤」は、全て同じ意味なのでしょうか。例えば「赤の他人」と「赤ちゃん」。共通する意味があるのでしょうか。(中)

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第149回 色を使った表現1・「赤」2

色を使った表現の中でも、今回は「赤」が使われているものをみていますが、一つ一つの言葉の意味を考える前に、「赤」そのものの意味を見てみましょう。

「赤」を辞書で調べると次のような意味が書いてあります。

1.名詞

①色の名前。

②赤信号。

③共産主義・共産主義者の俗称。

④明白であること。疑う余地のないこと。

⑤「赤字」の略。

⑥あずき。(もと女房詞)

⑦「赤短」の略。(花札で、赤色の短冊に松・梅・桜がそれぞれ組み合わされて描かれた札のこと)

⑧紅白に分けた組で、赤組の方。

⑨「赤米」の略。

2.接頭語

名詞について、全くの、明らかな、などの意味を表す。

ただの色の名前だけではなく、たくさんの意味を持っている言葉なのですね。こうして見ると、「赤」を使った言葉の意味も理解できるのではないでしょうか。(中)

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第150回 色を使った表現1・「赤」3

色を使った表現は、大きく三つに分類できるでしょう。一つ目は「言葉が表しているそのものがその色をしている」もの。二つ目は「その色をしている別のものから名前が取られている」もの。三つ目は「色とは関係ない意味で使われている」ものです。

一つ目の分類には、どのような言葉が挙げられるでしょうか。複数の色を持つものの中で、赤いものを指して言う場合は「赤~」と前に「あか」という言葉を付けて表現することが多いですね。例えば「赤ペン」や「赤痣」「赤味噌」「赤レンガ」などです。それぞれ「赤いペン」「赤い痣」「赤い味噌」「赤いレンガ」と、形容詞+名詞という形で意味が表せます。

それでは「赤ちゃん」はどうでしょうか。「赤い+ちゃん」…??これでは意味がわかりませんね。赤ちゃんは、体全体が赤いことから「赤い子」を意味する「赤子」という言葉が作られ、さらに親しみをこめて「赤ん坊」「赤ちゃん」となった表現です。(中)

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第151回 色を使った表現1・「赤」4

・今年度は赤字からの脱却を目指します。

上の文の「赤字」はどうでしょうか。「赤い字」からの脱却…これだけでは意味が通じません。「赤字」は「赤ペン」「赤レンガ」とは異なり、そのものが赤い色をしているわけではなく、赤い別のものから名前を取った言葉です。

簿記では、収入より支出が多い場合の数字を赤で書きます。ここから欠損のことを「赤字」と表現するようになったのです。落第点を表す「赤点」も同様の由来です。

ちなみに、前回、「赤ちゃん」についてご説明しましたが、赤ちゃんを表す言葉に「みどりご」(例:「神のみどりご(=キリスト)」)があります。これは「緑児」または「嬰児」と書きます。「緑児」は「赤ちゃん」のように体の色からきているのではなく、「新芽のような子」という意味からきている言葉だそうです。新芽の生き生きとした緑に例えているわけですね。(中)

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第152回 色を使った表現1・「赤」5

赤ちゃんを意味する「みどりご」が「新芽のような子」という言葉からきているというのは、私達が「緑」に新芽の若々しく生き生きしたイメージを持っているということを表しています。それでは、「赤」にはどのようなイメージを持っているのでしょうか。カラーセラピストの末永蒼生氏の調査によると、「熱い、暑い、つらい、賑やか、痛みなどという生理的な感覚」、「命、エネルギー、自己主張などという激しさや強い生命力など高揚した心理」が「赤」に対するイメージだそうです。末永氏はその原因を赤が血や炎を連想させるからだろうと推測しています。

例えば私達は太陽の絵を描くとき、大抵赤い色を使うわけですが、わざわざ「真っ赤な太陽」という言葉を使う場合は、ぽかぽか陽気の小春日和…こんな時の太陽を表現したいわけではありません。そこには激しさ、強さなどが表されています。

情熱や強さを表現しようという時、多くの人が「赤」という色を使うのは、こんなイメージがベースにあるからなのですね。(中)

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第153回 色を使った表現1・「赤」6

これまで、色を使った表現の中から「言葉が表しているそのものが赤い色をしている」ものと「赤い別のものから名前が取られている」ものを見てきました。それでは最後に三つ目の分類を見ていきましょう。「色とは関係のない意味で使われている」言葉には、「赤恥」や「赤の他人」「真っ赤な嘘」などが挙げられます。以前もご紹介しましたが、「赤」には「全くの」「明らかな」といった意味があります。「真っ赤な嘘」とは「明らかな嘘」「全くの嘘」という意味になるわけです。「赤の他人」も「全くの他人」ということになります。「赤恥」とは、「人前でかいたひどい恥」という意味ですが、これも「人前でさらけ出されてしまった明らかな恥」という意味だと捉えることができるでしょう。

ただし「赤の他人」という言葉の由来にはもう一つ説があります。「あか」はもともと仏に供える浄水を意味する「閼伽(あか)」からきているというものです。この場合、「あかの他人」は「水のように冷たい他人」→「全く縁のない他人」ということになります。

色を使うことで、私たちが表したい気持ち…それを探っていくと面白いですよ。他の色については、また別の回に取り上げたいと思います。(中)

*参考文献*
『大辞林』第二版 三省堂
『大辞泉』増補・新装版 小学館
末永蒼生『心を元気にする色彩セラピー』PHP研究社 2001年1月8日
日本社『目からウロコ!日本語がとことんわかる本』講談社 1995年9月20日

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第154回 さりげない一言1

日本経済新聞のNIKKEIプラス1で「チョコよりうれしいひと言」という記事がありました。職場で異性の同僚からかけられてうれしい言葉といやな言葉を調査したものです。

男性がうれしいと思う女性からのひと言としては、「おはようございます」「お疲れさまでした」「ありがとう」「お蔭でうまくいきました」「助かりました」といった言葉が並んでいて、一方、女性がうれしいと思う男性からのひと言としては、「お疲れさま」「ありがとう」「おはようございます」「また頼むよ」「おかげでうまくいった」「助かった」といった言葉が挙がっていました。どれも、日常的に使われるさりげない一言ですが、心を癒す大きな力を持っているものです。(に)

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第155回 さりげない一言2

NIKKEIプラス1の「チョコよりうれしいひと言」で挙げられていた言葉の中に「お疲れさま」という挨拶があります。

「お疲れさまです」「お疲れさまでした」という挨拶は、もともと相手をねぎらうものですから、本来は上下関係の上から下に対して使われるものですが、かなり前から、会社などでは上下関係を問わず日常の挨拶表現として使われていますし、美容院などでも、店員が、立場が上とされる客に対しても使っているのを耳にすることがあります。

では、皆さんは、「お疲れさまです」と「お疲れさまでした」をどのように使い分けていますか。(に)

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第156回 さりげない一言3

「お疲れさまです」と「お疲れさまでした」が会社などで使われる場合、勤務時間中にすれ違うようなときは「お疲れさまです」、会議が終わったときのように、何かが終わって一区切りがついたときや、一日の仕事の終わりには「お疲れさまでした」というように使い分けられることが多いと思います。こう考えると、退社する人が、まだ残って仕事をしている人に対して「お疲れさまでした」というのは、不適切ということになります。

ところが、「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の使われ方には別の見方もあるようです。(に)

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第157回 さりげない一言4

「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の使い分けについては、相手がこれからしてくれる行為や直前に行った行為に対しては「ありがとうございます」を使い、相手が過去に行った行為に対しては「ありがとうございました」を使うのが適切だという考え方があります。従って、相手が何かしてくれたその場で感謝の気持ちを表す場合は「ありがとうございます」と言い、昨日してくれたことに対して礼を述べるときは、「昨日はありがとうございました」と言うことになるわけです。これを「昨日はありがとうございます」と言うとどうでしょう。これは間違いではなく、相手の行為に対するこちらの感謝の気持ちが、現在も変わらないということを表すことになります。

本来、「ありがとうございます」という言葉は、感謝の気持ちを表すものなので、感謝の気持ちに過去は有り得ないのではないか、という意見も見られます。(に)

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第158回 さりげない一言5

「ありがとうございます」と「ありがとうございました」に関して、サービス業界には、社員に「ありがとうございます」を使うよう指導しているケースも見られます。

「ありがとうございました」と言うと、お客様との関係がそこで終わってしまう感じがするというのがその要因です。確かに、お店で買い物をして、店員さんに「ありがとうございました」と言われるよりも、「(いつも)ありがとうございます」と言われたほうが、客の側としてはお店との関係を現在進行形ととらえやすいのかもしれません。

いずれにしても、こうしたさりげない一言が相手の気持ちに与える影響を考えると共に、単なる言葉としてだけでなく気持ちをこめて使いたいものです。(に)

<参考文献>
・日本経済新聞 2006年2月4日朝刊
・スペースアルク
・教えて!goo

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第159回 肉まんか豚まんか1

寒い冬、あったかい中華まんを食べると心も体も温まるような気がしますよね。

あんこの入ったあんまん、カレーの入ったカレーまん、ピザの具が入ったピザまん・・・。

では、皆さん、豚肉のひき肉が入った中華まんを何といいますか。

肉まん?はい、私もそう呼びます。

でも、大阪出身の友人は「豚まん」と呼びます。

この呼び名の違いは何なのでしょうか。

ではヒントです。

新神戸駅で売られている駅弁に「肉めし」というものがあるのですが、これは牛肉を使ったお弁当です。 わかりましたか。

では、種明かしは次回。(イ)

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第160回 肉まんか豚まんか2

前回、「豚肉の入った中華まんを、肉まんと呼んだり豚まんと呼んだりするのはなぜか」という問題を出しましたが、皆さん、答えがわかりましたか。

新神戸駅で売られている、牛肉を使った駅弁の名前が「肉めし」というヒントを出したので、もうおわかりだと思います。 そうです。これは、肉といえば何肉なのかという違いなのです。

つまり、関西では、肉といえば牛肉。 だから、牛肉ではなく、豚肉を使った中華まんは、肉まんとは呼ばないで、あえて豚まんと呼ぶのです。

肉といえば何肉かというのは、牛肉と豚肉の年間支出金額(都道府県庁所在市対象、1世帯あたり、03~05年平均、総務省データ)を見ると、よくわかります。 牛肉の上位10位は和歌山・神戸・津・大津・京都・奈良・徳島・広島・大阪・北九州、と全て西日本。

一方、豚肉の上位10位は、甲府・仙台・新潟・横浜・福島・川崎・静岡・秋田・東京・青森、と東日本ばかり。 おもしろいですね。

皆さんのお宅ではカレーや肉じゃがに何肉が使われていますか。(イ)

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第161回 肉まんか豚まんか3

前回、肉といえば、西日本では牛肉、東日本では豚肉という例をご紹介しました。

西日本では、「肉めし」のように、「肉」という総称(上位カテゴリー)が「牛肉」という特定の一種類(下位カテゴリー)を指しています。 このようなカテゴリー関係に基づく比喩表現を提喩(シネクドキ)と言います。

この提喩、実は私たちの身近にたくさんあります。 例えば、「花見」の「花」、「卵焼き」の「卵」、「焼き鳥」の「鳥」。

私たち日本人が花見をするのは、春の桜の時期ですよね。 つまり、「花」という総称が「桜」という一種類を表しているわけです。

また、「卵焼き」と言えば、鶏の産んだ卵を使った料理のことですから、総称である「卵」が特定の「鶏の卵」を指しています。 そして、「焼き鳥」に使われるのは、鳥類だったら何でもいいわけではなく、「鶏」の肉です。

さあ、みなさんも、身近にある提喩の例を探してみてください。(イ)

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第162回 肉まんか豚まんか4

提喩には、「肉めし」「花見」「卵焼き」「焼き鳥」のように総称(上位カテゴリー)が特定の一種類(下位カテゴリー)を表すものだけではなく、その逆で、特定の一種類(下位カテゴリー)が総称(上位カテゴリー)を表すものもあります。

例えば、マタイ伝の有名な一節「人はパンのみにて生きるものにあらず」の「パン」は「食べ物」全体を指しています。 日本語でも「昨日イタリア料理の店で友達とご飯を食べた」と言ったら、「ご飯」は「白米」ではなく、「食事」一般を表しています。

また、「お茶、しない?」と誘われて、「日本茶や紅茶はちょっと・・・。私はコーヒー党なんです」と断る人はいないと思いますが、これはこの場合の「お茶」が「お茶の種類」ではなく、「飲み物」あるいは「飲み物を飲む」ことを表しているからです。 これら提喩には、ある言語やある文化の中でのみ使われるような独特のものも多く、外国の人にとってわかりにくいこともありますが、知っておくと便利ですし、表現の幅も広がると思います。

さて、比喩表現には今回の提喩以外にも、いろいろなものがあります。 また回を改めて、ご紹介していきたいと思います。

お楽しみに。(イ) 

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第163回 言葉の中の数「八」1

贅沢三昧、五色の短冊、親の七光りなど、数を使った言葉がいろいろありますが、その数には何か意味があるのでしょうか。言葉の中の数についてみてみましょう。

今回は「八」です。漢字で書くと「八」の形が下に向かって広がることから、末広がりのめでたい数とされます。日本に限らず、北京が2008年8月8日にオリンピック開催に決まった時の中国での大フィーバーぶりは記憶に新しいですね。

意味としては多い、大きい数という意味と、あらゆる方面という意味の2つでよく使われています。

古事記に「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」とあり、日本では古来「八」はとても多い、あるいは無限の数として使われていたようです。「八百万(やおよろず)」「八千代」「八重桜」などもそうですね。平家物語にはずたずたに引き裂く「八つ裂き」も出てきます。(た)

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第164回 言葉の中の数「八」2

「八」という数は多い数という意味の他に、あらゆる方面という意味でも使われます。あらゆる方面、つまり「四方八方」ですね。東西南北の「四方」とその間にある北東・北西・南東・南西の「四維(四隅)」を合わせて「八方」というところからあらゆる方面、方々といった意味に転じたものです。

周りの誰にでもいい顔をする「八方美人」、悪いところがない「八方よし」、どの方向にも手の打ちようがない最悪の事態「八方塞がり」、隙間だらけで備えなしの「八方破れ」、相手かまわず怒りちらす「八つ当たり」などもこの部類でしょう。(た) つづく

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第165回 言葉の中の数「七」1

前回は、「八」という数が実際の数を離れて、多い数、あるいはあらゆる方面という意味で使われている言葉の話でした。「八」のひとつ前の「七」も、「八」には及ばないけれどそれに続いて多い数という使われ方をします。

「七転び八起き」は七回(つまりたくさん、何度も)転んでもということですが、「七転び七起き」でも結果は起きあがることになるはずです。あえて無敵の大きい数「八」をもってくることで、「七」の数の多さも強調されているように感じられます。「親の七光り」「なくて七癖」「色の白いは七難隠す」なども、多くの、あるいはいろいろなという意味で「七」が使われています。

「七つ道具」は多種のという意味が転じてまとまりのある数、一組といった使われ方です。春や秋に食べる野草「春(秋)の七草」も、実際にはもっとたくさんある中から7種類に絞ったといわれます。(た)

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第166回 言葉の中の数「七」2

「七」は、「八」につづくかなり多い数という使われ方をしているだけでなく、仏教やキリスト教など宗教に由来する聖数(完全な数)として使われてもいます。

たとえば「初七日」「四十九日」「七回忌」。死後「七」の倍数の日に冥福を祈って供養する仏教行事ですね。仏教ではお釈迦様が生まれてすぐ七歩歩いたという伝説にもみられるように、「七」は聖数として考えられてきました。

「七福神」は「日本の神道(大黒天・恵比寿)」「インドの仏教(毘沙門天・弁財天)」「中国の道教(布袋・寿老人・福禄寿)」から成る多国籍の神様集団です。福の神を七つにしたのは、仏教の聖数からきていると言われています。長く伸びた頭や大きく垂れ下がった腹、加えて極彩色の宝船にうち揃う賑々しさは、私には理解しがたいものがありましたが、三つの宗教を仲良く融合させたおおらかさと考えるとうなずけます。

また、これは神社のものですが、江戸時代に生まれた「七五三」もあります。縁起のよい数である吉数(奇数)「七」「五」「三」の年齢の子どもの成長を祝って参拝します。(た)

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第167回 言葉の中の数「七」3

虹の数を数えたことがありますか。「七色の虹」といいますね。虹は外側から赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色と言われますが、表現する虹の数は地域や時代によって異なるようです。かつて西洋では六色が一般的だったそうです。ニュートンがキリスト教の聖数(完全な数)「七」にあてはめるためにindigo blue(藍)を加えて七色にしたと言われています。ちなみに日本でも古くは五色、沖縄では二色だったそうです。

キリスト教では、旧約聖書に見られるように神が天地創造した七日の「七」が神聖な数(聖数)です。「七色の虹」のように、「七つの海」、「七不思議」、グリム童話「白雪姫」に出てくる七人の小人、「オオカミと七匹の子ヤギ」など、まとまりのある数として「七」を使った言葉が多く見られます。

ところで、「ラッキーセブン」という言葉もあります。もともとはアメリカで野球の試合の7回目の攻撃で大量得点が得られたことから生まれた言葉ですが、転じて幸運の「七」という意味で広く使われています。映画「007」、ゲームセンターにあるスロットマシーンやパチンコ台に並ぶ3つの「7」なども、勝負強くて幸運が舞い込んできそうですね。(た)

参考資料
・「日本語大辞典」講談社
・「広辞苑」岩波書店
・「数のつく日本語辞典」森睦彦著 東京堂出版
・「日本語と外国語」鈴木孝夫著 岩波書店
・「数詞の発見」辻本政晴著 新人物往来社
・HP「ウィキペディア」

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第168回 切りたくもあり切りたくもなし1

さて、突然ですが、なぞなぞです。「切りたくもあり 切りたくもなし」これな~んだ。答えは一つじゃありませんよ。いろいろ考えて。

なになに?「眠くてもたまにしかない彼のTEL」眠気を取るか、色気を取るか、悩みます。「大物です 竿が折れますこのままじゃ」釣り糸をどうする?「久しぶり かかった電話 勧誘で」迷惑な友達ですね。他にも「冬場には木陰となるが夏涼し」「戯れに受けた会社の内定を」「役立たぬ年上の部下子沢山」「年賀状会わずに挨拶三十年」いろいろ出てきましたね。切るのは電話や人間関係が多いようです。

みなさん、最初の「切りたくも…」の句が七七になっていることにお気づきですか。その答えは、みんな五七五です。つまり、七七の句がお題になって(これを「前句(まえく)」という)、みんながいろいろな五七五を考えて句を作ります(五七五がお題で七七が付句でもよい)。これを、「前句付け」と言います。先に挙げた付句の数々は、インターネットから引用しました。(白)

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第169回 切りたくもあり切りたくもなし2

「切りたくもあり切りたくもなし」の句は、室町時代の山崎宗鑑という人が編集した、『新撰犬筑波集』という本の中の句です。ちなみにその本に載っている付句は「盗人をとらえてみればわが子なり」でした。たぶん、「切りたくも…」の前句に対し、当時何百何千の句が考えられた中で一番評判がよかったのでしょうね。現在でも、2チャンネルを始めいろいろなサイトでこの句の前句付けが行なわれているのは驚きです。

向井千秋さんが宇宙へ行ったとき、宇宙から前句付けを呼びかけていたのも記憶に新しいところです。「宙がえり 何度もできる 無重力」この句には、なんと十数万の応募があったそうです。日本人の体のどこかに、前句付けの遺伝子が眠っていたのでしょうか。(白)

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第170回 切りたくもあり切りたくもなし3

五七五と七七を、さらに何句も連ねたものが連句です。36句から成る連句(歌仙形式)が一般的ですが、長いものでは「百韻」「千句」といって、百句、千句続けた作品もあります。千句の場合は4、5日かけて巻いた(連句をみんなで作ることを「巻く」と言います)そうです。時間を贅沢に使った優雅な遊びにも思えますが、よく考えるととても大変ですよ。千句を5日で巻くとして、1日200句。1日のうち10時間連句に費やすとすると、1時間当たり20句。従って3分で1句作る計算になります。みなさん、自分の順番が回ってきて、題をもらって3分で俳句が作れますか?誰が次に付けるか、順番が決まっているときもありますが、候補句をいくつか待つこともあります。一体どんなスピードで句を詠むのでしょう。(白)

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第171回 切りたくもあり切りたくもなし4

連句の面白さは、複数の人で楽しむ点です。みんな夢中になって、前の句を一生懸命読み、意味を考え、自分の句を作ります。そしてその句をまたみんなが読み、新たな句を作る、そのダイナミズムの連鎖が濃密なコミュニケーションの空間を生み出します。コミュニケーションがそのまま文学になっているなんて、世界のどこを探してもありません。癒しの療法の一つとして臨床心理学からも注目されているらしい連句、かなりくせのある日本独自の文化ですが、意外と世界に通用するのかもしれません。(白)

〈参考〉2ちゃんねる「切りたくもあり切りたくもなし」

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第172回 縦書きと横書き1

「どうして日本語は縦書きが多いんですか。読みづらいので横書きだけにしたほうがいいと思います。」

日本語クラスでの授業中、ある外国人学生が言いました。突然ですがクイズです。この学生の出身国はどこだったでしょう。

答えは韓国。もしかすると意外に思った方もいるのではないでしょうか。韓国でも日本同様、もともと文章は縦書きでしたが、現在では日本以上に横書きが主流になっているそうです。それで、その学生も縦書きの文章に馴染みがなかったのかもしれません。(み)

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第173回 縦書きと横書き2

現在、日本語では当たり前のように縦書き・横書きが併用されていますが、歴史的に古いのはご存知の通り縦書きです。では、横書きはいつ頃から使われるようになったのでしょうか。

そう思って読んだ本が屋名池誠著『横書き登場-日本語表記の近代-』(岩波新書)です。この本によると、本格的な横書きは幕末から明治初期にかけて、西欧との接触によって誕生したとのことです。そして興味深かったのは、現在の状態に至るまでに右から左への横書きや左から右へ改行する縦書きなど様々な方式が試みられ、時に対立、時に共存していたという歴史でした。

図版も豊富で読みやすい本なので、興味のある方はぜひ読んでみてください。(み)

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第174回 縦書きと横書き3

現在では縦、横どちらにでも書くことができる日本語ですが、書かれるものの種類によって使い分けはあるのでしょうか。まずは出版物から見てみましょう。

小説やエッセイはどうでしょう。街の大型書店の文芸書フロアを歩いてみましたが、一部の例外を除きほとんどのものは縦書きでした。新書本やマンガも同様で、横書きのものを見つけるのは容易ではありません。

一方、語学、音楽、コンピュータ、科学などの専門書は横書きが主流です。これらの本は、横書きの西欧の文字や記号、数式等と一緒に書かれることが多いので、同じ向きに書くほうが都合がよいのでしょう。

新聞は、縦書きを基本としながらも、記事のタイトルや、記事によっては丸ごと横書きされるという混在型スタイルが主流です。

雑誌はと言うと、ジャンルによって縦書き、横書きが使い分けられているようです。また、教科書類も、国語は縦書き、理科や数学は横書きと、教科によって違いがあります。

面白いのが絵本です。これは「絵本」という一つのジャンルにも関わらず、個々の本によって縦書き、横書きが自由に選ばれているようです。

絵本に教科書。現代の日本人は子供の頃から縦書き、横書きの両方に親しんでいるんですね。(み)

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第175回 縦書きと横書き4

引き続き、縦書きと横書きの使い分けを見ていきましょう。前回は出版物についてでしたが、今回は私たちが日常自分で書くものについてです。

最近はパソコンや携帯電話などを使う機会が増えましたが、これらの電子機器で文を書く場合、圧倒的に横に書くことが多いのではないでしょうか。これは、好みの問題以前に機械の制約によるところも大きいと思います。

では、手書きの場合はどうでしょう。例えば、白い紙にメモを取る時、手紙や日記を書く時、皆さんは縦横どちらに書きますか。世代によっても差が出るとは思いますが、最近の傾向としては、横書きを好む人が増えてきているように感じます。試みに、今年受け取った年賀状で、手書きされたメッセージ部分が縦書きか横書きかを数えてみました。結果、縦書きは全体の約40%、横書きは約60%でした(ちなみに筆者は30歳女性です)。皆さんが書いたもの、受け取ったものはどうだったでしょうか。(み)

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第176回 縦書きと横書き5

縦書きと横書きは、どちらが優れているのでしょうか。屋名池誠著『横書き登場-日本語表記の近代-』で紹介されている実験によると、読む際、書く際とも、縦書きか横書きかであまり有利不利の差は見られなかったそうです。

ただ、歴史的な経緯や慣れの問題で、私たちが縦書き、横書きから受ける印象には違いがあるのではないでしょうか。私見ですが、縦書きからは伝統的で優美で温かい印象、横書きからは現代的で論理的で明るい印象を受けます。

時に、どちらが良いとか悪いとかいう論調で述べられがちな両者ですが、縦横どちらにも書けるというのは日本語の懐の深さを示す大きな財産だと思います。今後ともこの財産を活かして、日本語の自由で豊かな表現が広がっていくことを期待したいです。(み)

<参考文献>
・屋名池誠『横書き登場-日本語表記の近代-』2003,岩波書店
・石川九楊『縦に書け!-横書きが日本人を壊している-』2005,祥伝社
・ウィキペディア「縦書きと横書き」

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第177回 四つ仮名「じ」「ぢ」「ず」「づ」1

「そこ字から」「お子図解」…。何のことかわかりますか。「底力」「お小遣い」という文字に変換しようと思い、パソコンで「そこじから」「おこずかい」と入力したら、冒頭のような字になってしまいました。「そこぢから」「おこづかい」と入力しないと、正しく変換されないのですね。このように、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」には使い分けがあります。

「じ」「ぢ」「ず」「づ」は、まとめて「四つ仮名」と呼ばれます。まず、四つ仮名が含まれる言葉をいくつか挙げてみましょう。

「じ」:あじわう、じかん、かんじ、じっと、はんじょう、たじたじ

「ぢ」:はなぢ、ちぢむ、そこぢから、ゆのみぢゃわん、ちかぢか

「ず」:ずっと、かず、ずいぶん、じょうず、あんず、まずまず

「づ」:かんづめ、つづく、てづかみ、いろづく、おこづかい、つれづれ

四つ仮名が使われている場所を見比べてみると、「じ」「ず」は語頭にも、それ以外にも現れますが、「ぢ」「づ」は語頭には現れません。一般的には「じ」「ず」を使用し、特別な場合に「ぢ」「づ」を使うと考えられますね。(こ)

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第178回 四つ仮名「じ」「ぢ」「ず」「づ」2

四つ仮名は、一般的には「じ」「ず」を使用し、特別な場合に「ぢ」「づ」を使うということでしたが、他にどんなルールがあるでしょうか。

「あじわう」は、「あ」と「しわう」が結びついてできた語ではありませんが、「はなぢ」は「はな」と「ち」が結合してできた言葉です。「かんづめ」も「かん」と「つめ」が結びついてできています。ですから、「ぢ」「づ」を使うのは、二つの言葉が結びついたときと言えます。

でも、「ちぢむ」「つづく」は、「ち」+「ちむ」、「つ」+「つく」ではありませんね。これは、「ちち」「つつ」と、同じ音が続いた場合、二つ目の音を濁らせて発音するときには「ぢ」「づ」を使うというルールがあるからです。1986年に、現代文の仮名遣いのよりどころとして発表された『現代仮名遣い』の中で、二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」と、同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」は、「じ」「ず」ではなく「ぢ」「づ」を用いて書く、と書かれています。(こ)

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第179回 四つ仮名「じ」「ぢ」「ず」「づ」3

四つ仮名は、たいていの場合は「じ」「ず」を使い、「ちぢむ」のように同音連呼によって生じた濁音と、「はなぢ」のように二語の連合によって生じた濁音は、「ぢ」「づ」を使うということでした。では、次のどちらが正しい表記か考えてください。「かたづく/かたずく」→これは、漢字を思い浮かべればいいですね。「片」+「付く」だから答えは「かたづく」。「もとづく/もとずく」→これは広辞苑第5版によると、「本付く」が語源のようです。「本」+「付く」だから答えは「もとづく」。「ひざまづく/ひざまずく」→これも語源を考えてみると、答えが出そうですね。「膝を下に付ける」という意味だろうと考えると、答えは「ひざまづく」になりますね。ところが、辞書の見出し語としては、「ひざまずく」と書いてあるのです。『現代仮名遣い』(1986年)によると、現代語の意識では2語に分解しにくい語なので、「ず」を使うのが基本だが、「づ」を用いて書くこともできる、と書いてあります。つまり、どちらで書いてもいいわけです。とは言うものの、私のパソコンでは「ひざまづく」と入力しても、「跪く」という漢字には変換されませんでした。(こ)

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第180回 四つ仮名「じ」「ぢ」「ず」「づ」4

「跪く」は、「ひざまずく/ひざまづく」のどちらでもいいということでしたが、ほかにも「世界中」「稲妻」などは「じ」「ぢ」、「ず」「づ」のどちらを使ってもいいとされています。確かに、「せかいじゅう/せかいぢゅう」「いなずま/いなづま」のどちらでも漢字変換ができました。このように、四つ仮名の使い分けが緩やかなものもあれば、「そこぢから」「おこづかい」のように、はっきりしているものもあるわけです。ある語が、どちらのタイプなのかを覚えておかなければならないのは、難しいことですね。

ところで、最近のワープロソフトにはスペルチェック機能がついているので、入力ミスと思われる箇所に自動的に色付きで下線が引かれます。この文章を打っている最中も、「かなずかい」と打つやいなや「かなず」のところに赤線が引かれました。この機能があれば、語源まで考えなくても、また、使い分け緩やかタイプかはっきりタイプかを忘れてしまっても、パソコンが間違いを教えてくれます。このような機能があること自体、四つ仮名を含む仮名遣いの難しさを物語っていると思いませんか。(こ)

<参考文献>
・『新しい国語表記ハンドブック第5版』三省堂
・『広辞苑第5版』岩波書店

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第181回 気まずくならない断り方1

例えば、気の進まない相手から個人的に食事に誘われて断りたい場合、何と言って断りますか。

相手との関係(上司、友人、知り合いなど)やその場のあり方(職場、学校など)にもよりますが、継続的な関係がある相手であれば、当たり障りのない断り方を考えなければなりません。

何事につけ肯定するのは易しく、否定するのは難しいものです。礼法の小笠原流先代宗家の言葉を引用すると、日本のマナーの根底にあるのは、「相手を大切にする心」だとされていますが、誰かに何かを頼まれたり、何かに誘われたりした場合、断ることで相手の好意を無駄にすることになりはしないかと気を揉むわけです。(に)

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第182回 気まずくならない断り方2

日本語教育の現場で断り方を教える一つの例として、初級のクラスで扱う「勧誘」の表現があります。一般的には、「日曜日映画を見に行きませんか。」という勧誘に対して、それを受け入れる場合は「いいですね。行きましょう。」、断る場合は、「すみませんが、ちょっと……。」というように曖昧にぼやかした表現が幾つかの日本語教科書で採用されています。「いいえ、行けません。」とか、「いいえ、行きたくないです。」というようにストレートに断るのではなく、曖昧にぼやかして、相手に察してもらうことで相手に配慮した断り方をしているというわけです。(に)

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第183回 気まずくならない断り方3

相手に察してもらうことで、こちらが断っていることを伝える表現としては、「一応承っておきます。」や、「今後検討させていただきます。」といったものがあります。前回触れたように、相手の気持ちに配慮して、ストレートな言い方を避けているわけですが、こうした曖昧な婉曲的表現はしばしば誤解をもたらします。「承ると言ったじゃないか。」とか、「検討すると言っていたのに検討していない。」といった形で、後日揉めることもあるわけです。そこで、やんわりと、しかしきっぱり断る表現方法についてもいろいろ考えられるようになってきました。参考になるものとして、アサーション・トレーニング、あるいは、アサーティブ・トレーニングという考え方があります。元になっている英単語アサート(assert)とは、「自己主張する」という意味です。(に)

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第184回 気まずくならない断り方4

やんわりと、しかしきっぱりと断る表現方法に関連して、「アサーション・トレーニング」についてご紹介しましょう。これは、1970年代のアメリカで、社会教育の一環として始まりました。簡潔に言えば、相手に配慮しながら自己主張する方法と言えます。一つのポイントとして、「あなた」を主語にしないで、「私」を主語にする、ということが挙げられます。例えば、他人の悪口ばかり言っている人がいて、それをやめさせようとするときに、「あなたは他人の悪口ばかり言って!」と攻めるのではなく、「他人の悪口を聞くのはいい気持ちがしません。」というように、「私」の感想を述べることによって、相手に内省を促すという手法です。(に)

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第185回 気まずくならない断り方5

相手に配慮しながら自己主張する「アサーション・トレーニング」の手法を、断る場合に応用すると、例えば、気の進まない相手から個人的に食事に誘われて断りたい場合、どんな断り方が出来るでしょうか。「誘って頂いてありがとうございます。でも、折角ですから、みんなで懇親会をしませんか。」といった提案をして、個人的な場となることを防ぐというのも一つの方法です。

別の状況として、誰かから大きな借金を依頼された場合、相手が友人だとどう断るか考えてしまいます。ここも、ちょっと応用して、「大変だろうとは思うけど、あなたの今後を考えると、今、私が貸さないほうが賢明だと思う。」といった断り方ができるでしょう。

この二つの例で、断りの冒頭に「誘って頂いてありがとうございます。」、「大変だろうとは思うけど」という部分があります。これは「緩衝語」または「クッション言葉」と言われ、これを添えることで、後に続く部分がぐっと和らぐという効果があります。(に)

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第186回 気まずくならない断り方6

断るときに、いきなり断りの文に入るのではなく、「誘って頂いてありがとうございます。」というように、初めに一言添えるものを「緩衝語」または「クッション言葉」と言います。

緩衝やクッションという言葉からもわかるように、後に続く言葉の響きを和らげ、聞き手の心を和ませる効果があります。断りの文の初めに用いられるものとしては、先程の例の他に、「あいにくですが」、「恐縮ですが」、「折角ですが」、「申し訳ございませんが」といったものがあります。

「緩衝語」は断るときだけではなく、例えば誰かに何かを依頼するとき、「お手数をお掛けしますが」、「ご面倒でしょうが」、「ご迷惑とは存じますが」といったように使われることもあります。

断るときに、「アサーション・トレーニング」や「緩衝語」、その他の敬語表現の使い方に注意することは大切ですが、何より、「相手を大切にする心」が肝心だということに思いをいたし、心地よいコミュニケーションに努めたいものです。(に)

<参考文献>
・『新・オトナの学校 仕事常識』日本経済新聞社
・『実践ビジネス実務 改訂版』河田美惠子著・学文社
・『アサーショントレーニング―さわやかな「自己表現」のために』平木典子
・小笠原流礼法について
・web話し方無料講習会「断り方」

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第187回 鍋を食べよう?! 1

寒い冬、あったかい「鍋」を食べると心も体も温まるような気がしますよね。

と、またまた食べ物の話になりますが、昔、日本語学習者から、「日本人は何でも食べますね。硬いものでも平気ですね。だって、鍋を食べますから」と笑いながら言われたことがあります。

確かに、外国の人が「鍋を食べる」という言葉だけを聞いたら、誤解してしまうかもしれません。

皆さんご存知のように、「鍋を食べる」の「鍋」は、「鍋を使って野菜や魚、肉などを煮て食べる料理」のことを指します。

「鍋」という「器」でその「中身」を指すという比喩表現を、換喩(メトニミー)といいます。

「やかんが沸いたら火を止めて」といった場合も、器(やかん)でその中身(水・お湯)を表しています。

今回はこの換喩を扱います。(イ) 

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第188回 鍋を食べよう?! 2

この換喩(メトニミー)は、Wikipediaによると、「概念の近接性に基づいて意味を拡張した表現」とあります。

ある事物Aに近接(隣接)する事物Bに注目して、BによってAを代表させるわけです。

この近接性には、「鍋を食べる」「やかんが沸く」のように、器で中身を表すもののほかにもいろいろなパターンがあります。

例えば、作者で作品を表す場合があります。

「ピカソを見にいく」と言ったとき、もう亡くなってしまったピカソ本人に会いにいくわけではなく、ピカソの描いた絵を見にいくことを指します。

「モーツァルトを聞いた」「宮部みゆきを読んだ」などもこれにあたります。(イ) 

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第189回 鍋を食べよう?! 3

場所や地名で事物を表す換喩(メトニミー)もあります。

高校の校舎などの垂れ幕に「甲子園出場おめでとう!」、「祝!花園4強!」、「目指せ国立!」などと書かれているのを見かけますが、これはそれぞれ「甲子園」が「春の選抜高等学校野球大会、夏の全国高等学校野球選手権大会」、「花園」が「全国高等学校ラグビーフットボール大会」、「国立」が「全国高等学校サッカー選手権大会」を指していて、地名や球場名が大会を表す有名な例です。

また、『ウォール街』という、若手証券マンと老練な投資銀行家を描いたオリバー・ストーン監督の映画がありましたが、アメリカの「ウォール街」、日本の「兜町」といえば「株式取引」を指します。

他にも、「ワシントン」あるいは「ホワイトハウス」が「アメリカ政府」を、「永田町」が「日本の政界」を指すことがありますが、これらはその中心地が事物を代表しているわけです。(イ) 

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第190回 鍋を食べよう?! 4

床屋の入り口に「顔剃り3000円」と書いてあったりしますが、よく考えてみると、顔をそるのではなく、顔のひげを剃るんですよね。

このように、換喩(メトニミー)には、全体(顔)で部分(ひげ)を指すものがあります。

「自転車がパンクした」も、自転車(全体)でタイヤ(部分)を表しています。

一方、部分で全体を表すものもあります。

私の人生のモットーである「笑う門(かど)には福来る」は、部分である「門」で全体の「家」を表しています。いつも笑顔を絶やさない家(一家)には幸せがやってきますよという意味ですね。

さて突然ですが、皆さんは、「イカ焼き」と聞いてどんな食べ物を想像しますか。

関西地方の方と、それ以外の方とでは、たぶんイメージするものが違うと思います。

大阪名物の一つである「イカ焼き」は、小麦粉の生地とイカのゲソを混ぜて、鉄板で薄く焼いたお好み焼きのようなものですが、東京の鉄板焼きの店や湘南の海の家などで「イカの焼いたもの」を注文したら、イカの丸焼き(姿焼き)が出てくるでしょう。

では、どちらのイカ焼きが換喩(メトニミー)でしょうか。

そうですね。具の一部であるイカで全体を示している、大阪版「イカ焼き」が換喩です。(イ) 

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第191回 鍋を食べよう?! 5

部分が全体を指すのに似ているものとして、動作の一部が動作全体を表す表現があります。

例えば、「ハンドルを握る」「マイクを握る」というのは、ただ「握る」行為を指すのではなく、握って何をするのかを表します。

ハンドルを握って「運転する」、マイクを握って「歌を歌う」。

スポーツ選手が「ユニフォームを脱ぐ」、作家が「筆を折る」といったら、どちらもその世界から「引退する」ということです。

こういった慣用句のような表現は、身近にたくさんあると思います。

皆さんも探してみてください。(イ) 

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第192回 鍋を食べよう?! 6

身体的特徴や格好などの属性で人を表すのも換喩(メトニミー)の一種です。

昔、一世を風靡したドラマ『太陽にほえろ』に出てくる刑事たちは皆ニックネームで呼ばれていました。

例えば、「ゴリさん」「殿下」「ジーパン」「ロッキー」・・・。

この中で換喩は・・・、そうです。「ジーパン」です。

松田優作が演じていた柴田純刑事はいつもジーパンをはいているから「ジーパン」と呼ばれていました。

童話『あかずきん』もそうです。

主人公の少女はいつも赤い頭巾をかぶっているから「あかずきんちゃん」と呼ばれます。

さて、童話の主人公といえば、「白雪姫」はどうでしょうか。

これは隠喩(メタファー)と呼ばれる比喩表現です。

この隠喩はまたの機会に扱いたいと思います。(イ)

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第193回 色を使った表現2・「青」1

「色を使った表現」として、以前は「赤」を取り上げました。今回は「青」について見ていきたいと思います。

『大辞泉』で「青」を調べると以下のように出ています。

①七色の一。また、三原色の一。晴れた空のような色。

②緑色にもいう。

③青信号の略。

④青毛の略。俗に、馬一般の代表名としても用いる。

⑤青本の略。

⑥青銭の略。

⑦天正カルタの青札の略。花札の青短の略。

⑧ある語に冠して「若い」「未熟の」の意を表す語。

「赤」同様、こちらもいろいろな意味を持っていますね。(中)

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第194回 色を使った表現2・「青」2

「あお」という色名は、「あい(藍)」という植物と関係あると推定されています。この色の名前は『古事記』に既に登場しているそうです。日本人は昔から藍から採った色を使っていたということですね。

それでは、「青」という漢字はどのように作られたのでしょうか。この漢字は「生」と「丼」を合わせて作られた文字だと言われています。「生」は「あおい草の芽生え」を表し、「丼」は「井戸の中に清水の溜まったさま」を表しています。あお草や清水のような澄み切った色というイメージから作られた漢字だったのですね。

ちなみに同じく日本語で「あお」と読む「蒼」は、「倉に取り込んだ牧草」を表し、中国語ではくすんだ「あお色」を意味する漢字として作られたそうです。(中)

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第195回 色を使った表現2・「青」3

具体的に「青」という言葉を使った表現を見ていきましょう。

『広辞苑』には「若い」「未熟の」という意味を表すということが書いてありますが、この意味で使われている「青」には、「青二才」があります。「あいつはまだまだ青いな」という台詞も、ドラマなどでよく出てきますね。ちなみに「青二才」の「二才」の方の語源には諸説ありますが、ボラなどの稚魚を「二才魚」「二才子」などと呼ぶことから、未熟者のことを「青二才」と言うようになったという説が有力だそうです。

また、「青春」という言葉も、陰陽五行説で「春」を示す色が青であったことから、元は春の異名でしたが、「青」が「若い」という意味を持っていることが影響し、人生の若い時期を指すようにもなったのだそうです。(中)

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第196回 色を使った表現2・「青」4

一口に「青」と言っても、濃淡は様々です。どのような「青」かで、人が感じるイメージはまったく異なるそうです。

具体的に例を挙げていきましょう。スカイブルーは「希望や積極性」、もっと淡い青(ベイビーブルー)は「優しさ・穏やかさ」、少し緑が混ざっている青(マリンブルー)は「鎮静や浄化」、紺色には「知的・冷静」といった肯定的心理もあれば「孤独・メランコリー・緊張感」といった内向的な精神状態もあるといった具合です。

ピカソが「青の時代」と呼ばれる時期に使っていた青は、比較的濃いものです。親友の自殺にショックを受けたピカソが、青を使うことによって「死」による喪失感を表しているのではないかと言われています。結婚を前に憂鬱になる状態を「マリッジブルー」と言いますが、このときの「ブルー」はピカソの青と同じ、濃い青でしょうか。

「青」を使った表現も、それがどの「青」をイメージしたのかを考えると面白いですね。(中)

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第197回 色を使った表現2・「青」5

歌舞伎の隈取の一つに「青隈(藍隈)」というものがあります。これは文字通り藍で顔を青く隈取るもので、怨霊や公家悪(国をのっとるような悪役の公家)を表現しています。これは青によって陰湿さや冷血さを表しているのだそうです。「青息吐息」は「困って苦しい時などに、弱りきって吐く息。またはそのためいきが出る状態」ですので、この「青」も恐らく清々しいスカイブルーなどではないでしょう。

血の気が引いた時に使われる「青くなる」の「青」は青白さを表しているので、「青」というよりも「青みがかった白」です。

例えば「青田買い」の「青」は稲がまだ実っていない、田が緑の状態を表しています。これは古代の「あお」には今でいう緑色も含まれていたからです。「青信号」の「青」も実際は緑色ですね。信号の色については、幼い子供や日本語を勉強している外国人の生徒から「どうして緑なのに青なの?」と聞かれることがあります。英語の“blue”よりも、日本語の「あお」は幅広い色を表しますので、注意が必要です。

私は教師として「まだまだ青い」と言われることのないように、日々精進が必要です。(中)

*参考*
『大辞泉』小学館
『心を元気にする色彩セラピー』末永蒼生 PHP研究社
『色の名前はどこからきたか』福田邦夫 青娥書房
「語源由来辞典」
「顔の拵え」

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