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日本語の美しさ5

第198回 言葉の中の数「三」1

言葉の中で使われる数には単なる数としてだけでなく、何らかの意味が付けられているものが多くあります。今回は「三」です。『今期、「三冠王」に輝いたのは○○だ』『あいつはいつも「舌先三寸」で調子のいいことを言うから気をつけろ』『あそこは「三流」高校と言われていたが、野球で一躍有名になった』などがありますね。少し詳しく見てみましょう。

まず、「三冠王」「日本三景」など3つ並べることで、ある分野を代表するという位置づけを表現しているものがあります。「日本三景」は松島・天ノ橋立・厳島を指し、江戸初期から日本を代表する景勝地として使われてきました。宗教で三つの教え「三教」と言えば、日本では神道・儒教・仏教です。「御三家」もこの例ですね。元々は「徳川御三家(尾張家・紀伊家・水戸家)」の略ですが、むしろ「御三家」といえば橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦・・・あ、少し古いでしょうか。「高校御三家」「IT御三家」「SF御三家」とその道の代表であることを掲げたがるのは昔も今も同じようです。「三羽烏」「三傑」「三役」などもあります。

また、嫌がられる職場や職種環境を言う「3K(危険・汚い・きつい)」、かつて結婚条件にあげられた「三高(高学歴・高収入・高身長)」も同じような使い方ですね。(た)

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第199回 言葉の中の数「三」2

前回は「三」という数に、ある分野を代表する位置づけを表現する言葉を見てきました。

今回は“まとまり”を意味する「三」を見てみましょう。「三」でなければならない必然性はあまりなくても、「三」にするとまとまりができ納まりがよくなります。「三人三様」「三部作」などがあります。また「三人寄れば文殊の知恵」「二度あることは三度ある」「石の上にも三年」といった諺にもこの使い方がよくみられます。

一方、“三番目”という序列として「三」を使った言葉もあります。一流・二流・「三流」。また、「三枚目」もこの例です。イケメンの「二枚目」がありますね。では「一枚目」もあったのでしょうか。あったんですね。歌舞伎小屋の看板が語源です。「一枚目」に主役(座長)、「二枚目」に美男、「三枚目」には道化役を貼り出したところからきています。(た)

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第200回 言葉の中の数「三」3

「三」という数が言葉の中でどのような意味で使われているか、もう少し見ていきましょう。

わずかの、少しのといった意味の使われ方があります。「三行広告」(新聞や雑誌に載せる3行程度の小さい広告)、「早起きは三文の徳(得)」がこの例です。「三歩歩けば忘れる」というのは最近の私のことです。

また、「三日坊主」(すぐに飽きて続かない人)のように、わずかのという意味に、価値のないもの、取るに足らないものという批判的なニュアンスが加わるものもあります。「三文小説(芸術性のない、つまらない小説)」もそうですね。また、同様に「舌先三寸」というのもあります。元々は“短い舌で天下をも動かす”という良い意味だったそうですが、今では口先だけで内実をともなわないという意味で使われています。

最後に、「三」という数は、宗教や神話にもよく登場します。キリスト教の「三位一体(父・子・精霊)」や神道の「三種の神器」、ヒンズー教の「三神一体」、ギリシャ神話や北欧神話の「三女神」などがあります。古今東西の人びとが「三」という数に寄せた特別な思いを感じます。(た)

参考資料
・「日本語大辞典」講談社
・「広辞苑」岩波書店
・「数のつく日本語辞典」森睦彦著 東京堂出版
・「数詞の発見」辻本政晴著 新人物往来社
・HP「語源由来辞典」
・HP「ウィキペディア」

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第201回 言葉の中の数「百」

言葉の中で使われる数には単なる数としてだけでなく、何らかの意味が付けられているものが多くあります。今回は「百」です。

まず「百科事典」「百貨店」「百薬の長」など、“多い、たくさん”という意味で使われている言葉が「百」もあります。「疑問百出」「百戦錬磨」・・・他にも出てきそうですね。「百聞は一見に如かず」「百害あって一利なし」「百年の恋も冷める」「百年の不作(一生の失敗)」など慣用表現にもたくさん使われています。「百花繚乱」ですね。

他に、「百」は「元気百倍」「百も承知」のように“充分” という意味や、「百発百中」「百戦百勝」のように“例外なしに”という意味でも使われています。

このように、多い数を「百」と叫んでしまうような使われ方をする数として、「千」や「万」もありますが、「百」は何か人智の及ぶ現実的な数といった感じがします。皆さんはいかがですか。もっとも、「千」年前の出来事を昨日のことのように語る人々も世界にはいますから、日本ではということになりましょうか。(た)

参考資料
・「日本語大辞典」講談社
・「広辞苑」岩波書店
・「数のつく日本語辞典」森睦彦著 東京堂出版

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第202回 篤姫のふるさとの言葉1

「ゆくさおさいじゃったもしたなあ。」

これは、鹿児島の方言で「ようこそいらっしゃいましたねえ。」という歓迎の挨拶です。鹿児島は九州の最南端に位置し、話題の大河ドラマ『篤姫』の主人公天障院篤姫のふるさとです。筆者の故郷でもありますので、今回は鹿児島方言を取り上げます。

鹿児島方言には、鹿児島のシンボルであり、篤姫が大河ドラマの中で床の間に掲げられた掛け軸でしばしば見ている桜島をぐるっと取り囲む薩摩半島から大隈半島一帯の多くの方言が含まれます。一言で鹿児島方言と言ってもその範囲は広いもので、地域の北の方と南の方では同じ方言とは言えないほど言い回しが異なる場合もありますが、ここでは一般的な鹿児島方言を取り上げます。(に)

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第203回 篤姫のふるさとの言葉2

鹿児島は温泉地に恵まれ、桜島や霧島といった山の景色と指宿等の海の景色の変化もあり、黒豚や黒毛和牛、薩摩揚げ(地元では「つけあげ」と呼びます)、豚骨料理にきびなごの刺身等の料理には焼酎がよく合い……とまあ、篤姫ブームが去った後も是非訪ねていただきたいところです。 

東京・大阪から飛行機でも2時間足らず。鹿児島空港に降り立つと、空港ビルのすぐ外で天然温泉の足湯「おやっとさあ」が観光客を出迎えます。この「おやっとさあ」も鹿児島の方言です。その意味は、「お疲れ様」。丁寧に言えば、「おやっとさあごわす」(お疲れ様でございます)、「おやっとさあごわしつろう」(お疲れ様でしたでしょう)となりますが、日本語の日常挨拶になっている「お疲れ様です」と同様に、鹿児島の人は昼でも夜でも親しい人に会えば「おやっとさあ」と声を掛けます。地元の人にとって心温まる言葉です。(に)

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第204回 篤姫のふるさとの言葉3

鹿児島の方言の特色というと独特のアクセントやイントネーションにありますが、言葉(語彙)の中にも特色が見出せます。豆腐を表す「おかべ」は宮中で使われた女房言葉に由来し、惜しいという意味の「あたらし」(これを鹿児島の人は「あったらし」と言います)のように古語が残っているものもあります。

では、皆さんは「ラーフル」という言葉をご存知ですか?これは、外来語が鹿児島の方言に取り入れられたものです。さて何でしょう?答えは黒板消しです。元々オランダ語で擦る、磨くという意味のrafelという言葉が取り入れられたもので、今でも学校の先生が「ラーフルがなかど!」(ラーフルがないぞ!)と言うのを耳にすることがあります。鹿児島が古くから海外の文化を取り入れていた証の一つと言えるでしょう。(に)

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第205回 篤姫のふるさとの言葉4

「おい、こら、何してるんだ!」相手を怒鳴っている状況が目に浮かぶようですが、この「おい」「こら」は実は元々鹿児島の方言なのです。前回は外来語が鹿児島の方言に取り入れられた例をご紹介しましたが、今回は、鹿児島の方言が共通語でも使われている例をご紹介します。

「おい」は鹿児島の方言で「俺」の意味、「こら」は「これは」がなまったもので、「お前」の意味です。明治時代、藩閥政治が展開され、薩摩出身の警察官が優遇されて幅をきかせていた頃に、一般の市民を鹿児島の方言で怒鳴り散らしたのが共通語に定着したものです。同じようなものに「ビンタ」があります。鹿児島の方言では「頭」を指す言葉ですが、これまた薩摩出身の下士官などが軍隊で指導と称して行った行為から、相手を叩く行為を指す言葉として共通語に定着しました。特に意識せずに使っている言葉も由来をたどると面白いものです。(に)

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第206回 篤姫のふるさとの言葉5

鹿児島県警のシンボルマスコットは「チェストくん」。この「チェスト」も鹿児島方言の言葉です。これは敵陣に攻め込む時や相手を攻撃する時に「行けー!!やれーっ!!」のような感じで「チェストー!」と叫ぶ掛け声の一種です。江戸時代から使われているようですが、その由来については諸説があり、「知恵を捨てよ」であるとか、相手の胸を狙って斬りかかる時に胸を意味する英単語のchestを叫んだのが元だなどと言われていますが、はっきりしていません。今でも試合の前などに大勢で気合を入れる時に叫ばれる荒々しい掛け声ですが、鹿児島は武の国薩摩と言われるだけあって、方言に強意の接頭語が多用される傾向があります。「ひったまがる」(驚くの意味)、「ひっ倒れる」(倒れるの意味)、「ひっ転がる」(転がるの意味)のように、強意の接頭語「ひっ」が付く動詞が多く、その他に、「うっす」(打ち棄てるの意味)、「うっ壊す」(壊すの意味)、「ちんがらっ」(木っ端みじんにの意味)のように促音の部分に勢いをつけて発音する言葉が多数見られます。(に)

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第207回 篤姫のふるさとの言葉6

友人を案内して鹿児島へ帰省した時のこと、祖母が友人のことを鹿児島の方言で「まこてよかにせさんじゃが」と評したのですが、友人には何のことかさっぱりわからないようでした。「まこて」は「誠に」、「よか」は「いい」とくると類推できると思いますが、「本当にハンサムな男の人だねえ」というような意味になります。「ほんのぶにせじゃが」と言われたらおしまい。「取るに足りない不細工な男」という意味です。「にせ」は男性、「おごじょ」は女性、「ちご」は少年を表します。

他人を評する表現として、「なんとんしれんやっ」(何とも知れない奴ということからろくでなし)、「やっせんぼ」(小心者)、「ずんだれ」(だらしない奴)というのはマイナス評価を表しますが、「ぼっけもん」(冒険者ということから物おじしない人)となると武の国薩摩では好印象、さらに「まこててんがらもんごわんさあ」(「てんがらもん」とは天からの子)と言われれば、「本当におりこうさんだねえ」という評価を表します。(に)

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第208回 篤姫のふるさとの言葉7

鹿児島の方言には、これまで見て来たように特別な言葉(語彙)がありますが、アクセントやイントネーションも特徴的なものです。共通語とは逆のパターンになるものが多いのですが、よく取り上げられるものに「雨」と「飴」があります。低い音を○、高い音を●で表すと、共通語の場合「雨」は●○、「飴」は○●となりますが、鹿児島の方言ではこれがちょうど反対になります。文として、例えば、「本屋へ行く」と言う場合、「○○○●●○」となり、やはり共通語とは違うイントネーションになります。

鹿児島で生まれ育った人がこうしたイントネーションを聞けば、すぐにアンテナが反応するぐらい染み付いているものですが、情報化社会の進展と共に方言特有の言葉(語彙)や言い回しは徐々に使われなくなってきています。懐かしさや心温まる言葉が表現を豊かにしていることを思うと、こうした方言が共通語の陰に隠れていくことにある種の寂しさも感じます。(に)

<参考文献>
・日本の方言
・鹿児島方言辞典
・鹿児島の方言
・「ラーフル」考

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第209回 和歌と和菓子のオカシな関係1 -夜の梅-

和菓子の老舗「とらや」の有名なお菓子に、「夜の梅」という羊羹があるのをご存じですか。

この羊羹は、小豆が羊羹の中に粒のまま入っています。羊羹の切り口の小豆の断面が粉で白く見えるので、黒い羊羹の中に小豆の粒が白く浮き出ているさまを、夜の闇に浮かぶ白梅に見立て、「夜の梅」と名付けられたそうです。上記の「とらや」のHPによると、元禄7年(1694)に初めてその名が資料に表れる古い名前で、現在では「とらや」を代表する商品となっています。

小豆の断面を白梅、黒い羊羹を夜の闇に見立てるとは、なんと優雅なこと!どこからそんな発想が出てくるのでしょう。実はそのモチーフになっているのは、『古今和歌集』の和歌なのです。巻一春歌上に、こんな歌があります。「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」(凡河内躬恒)。一首の意味は「春の夜の闇は、わけがわからないものだなあ。梅の花は確かに姿は見えないが、香りはかくせやしない。闇とはすべてをかくすんじゃなかったのかい」ぐらいの意味です。香りうんぬんは、羊羹とは無関係ですが、夜の闇の中の梅を賞美する伝統的な美的感覚・季節観を取り込んで、ネーミングしたと思われます。つまり、和菓子は、お菓子としてのおいしさだけでなく、その形と名前から、季節の風物の美しさ、さらにはそれにちなんだ古典文学の世界までも味わうことができる、すばらしいものなのです。(白)

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第210回 和歌と和菓子のオカシな関係2 -雪の下萌-

和菓子の名前のことを菓子銘・菓銘と言います。たとえば「かきつばた」。これは、その名の通り、紫色のかきつばたの花を模した形の和菓子ですが、ただ単にその季節の花、というだけでなく、『伊勢物語』九段の、東下りの一節を想い起こさせます。秋には、紅葉を象った「竜田川」という名のお菓子が登場しますが、これは、百人一首でも有名な、「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くくるとは」をモチーフに、紅葉の名所を菓子銘にしています。

では、下記のURLにあるお菓子はいかがでしょう。

http://www.toraya-group.co.jp/products/popup/143154m.html

「雪の下萌」という菓子銘です。きんとん製のお菓子で、左半分の白が雪を表し、右半分の緑が、雪の下から萌え出る草の新芽を表しています。これは、『古今和歌集』巻十一恋歌一にある「春日野の雪間をわけて生(お)ひいでくる草のはつかに見えし君はも」(春日野の雪を押し分けて芽が出てくる草がちょっと見えるように、春日祭の物見車の簾の隙間から、ちらっと見たあなたですよ)という壬生忠岑の歌からつけられた菓子銘です。菓子銘から色の意味を理解して改めて眺めると、色合いが何ともいえず美しいお菓子です。一面の雪の下で鼓動する緑の新しい生命を想像させます。(白)

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第211回 和歌と和菓子のオカシな関係3 -和菓子と茶の湯-

もともと和菓子は、茶道とともに発展を遂げた一面もあります。つまり、茶請け菓子としての和菓子です。「とらや」の創業の時期、1500年代は、茶の湯が始まった時期とちょうど重なります。茶の湯では、季節感を大切にします。お客をもてなすにあたり、季節に合った花を飾り、季節に合った掛け軸を飾ります。それが、お客へのもてなしです。お茶の前にいただくお菓子にも、その心が反映されているのです。お菓子一つをもとに、季節を感じ、伝統的な美意識を改めて発見し、古人に思いを馳せる、それこそがお客の五感に加え心も満足させる、主(あるじ)のもてなしだったのでしょう。

以前、ある茶の湯の家元のお宅に、文学講義の講師として毎月数回通っていた時期があります。もちろん、毎回お菓子とお茶をご馳走になっていました。2月のある日のお菓子は、「菜の花」でした。黄色と緑のきんとんでできた生菓子です。私はこのお菓子が大好きでした。ちょっとこの季節には早すぎるのでは、と思いつつも、ありがたくいただきました。次の月、なんとまた「菜の花」のお菓子が出ました。ふつう、こういう茶の湯の家元のお宅では、和菓子を注文する和菓子屋が決まっていて、季節に合わせてお菓子を毎月毎回変えるのが当たり前です。どういうことなのでしょう。(白)

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第212回 和歌と和菓子のオカシな関係4 -和菓子に宿る日本文化-

茶の湯の家元のお宅で、先月に引き続き三月も「菜の花」のお菓子が出てきました。でもよく見ると、その「菜の花」は、先月と何か違っています。そうか。先月は「菜の花」といいながら黄色より緑の部分が多かったのです。というより、黄色い部分がほとんどありませんでした。花が1、2分咲きといった体でしょうか。それが今月は、黄色の部分がかなりを占めていて、花が満開のようです。そのことに気付いたとき、和菓子屋の演出のあまりの心憎さに、心の中で「おお」とうなってしまいました。

「菜の花」は、和歌ではなく、俳句(与謝蕪村「菜の花や月は東に日は西に」など)あるいは実際の花の美しさをふまえて菓子銘がつけられたのでしょう。でも、菓子銘以上に、色の移ろいに注目してお菓子を演出したその和菓子屋の考え方に、私は、日本の伝統文化、ここでは季節の移ろいを重視する古今集的な季節観を感じました。

和菓子は、和歌や俳句の季節の言葉(=歌語・季語)の奥深さをうまく利用して、食べていただくお客へのもてなしの心を表しています。和菓子を食べることは、いわば日本の文化を味わうことなのです。「和菓子いとをかし」(白)

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第213回 ふるさとのことば1

「よう帰って来てごしなったなあ」

先日、私は約20年ぶりに、自分の生まれた町を訪ねました。これは、そのとき伯母からかけられた言葉です。お気づきの通り、ある地方の方言なのですが、皆さんは意味がお分りになるでしょうか。

「よう」は「よく」。「ごしなった」は二つに分かれて、前半の「ごす」は「くれる」という意味。後半の「なった」は軽い敬意表現です。という訳で、全体を直訳すると、「よく帰って来てくださったねえ」という感じになります。

ここでもう一つ問題です。これは、どの地方の方言でしょう。聞きなれない方言で難しいかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。(み)

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第214回 ふるさとのことば2

前回、「よう帰って来てごしなったなあ」(よく帰ってきてくださったねえ)という、私の出身地の方言のフレーズをご紹介しました。これは、鳥取県西部にある米子市で話されている方言、“米子弁”です。

きっと米子弁なんて聞いたことがないという方が多いのではないでしょうか。小さな町で話されている方言なので、無理もないと思います。珍しついでに、他にもいくつかご紹介しましょう。

「今日雨ふーけん、傘もって行きなんや」(今日雨が降るから、傘を持って行きなさいよ)

「静かにしとらんといけんがん!」(静かにしていないといけないでしょう!)

「えらいがいなだったで」(とても大きかったよ)

「もう終わりにしょい」(もう終わりにしよう)

(み)

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第215回 ふるさとのことば3

私の母語は日本語です。さらに細かく言うと、出身地である鳥取県米子市で話されている“米子弁”が私の母語(母方言?)と言えるでしょう。

「母語」とは子どものころ自然に身につけた言語のことです。読んで字の如く、多くの場合は母親の言語と一致するでしょう。でも、私の場合、方言に関しては母以外の家族や地域の人が話すのを聞いて身につけました。

母は茨城県の出身で結婚後米子に住むようになったのですが、米子弁を話さないのはもちろん、聞いてもあまり分らなかったようです。私も子どもながらにそれが理解できたので、母と話すときは標準語に近い言葉で話し、父や祖母と話すときは米子弁を使うという、言葉の使い分けをしていました。

「不便だなあ」としか思わなかったこの状況ですが、子どものころから自分の話す言葉に意識的になれたのも事実です。日本語教師という、言葉に関わる仕事に興味を持ったきっかけは、案外そこにあるのかもしれません。(み)

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第216回 ふるさとのことば4

私は14歳で生まれ故郷を離れて東京近郊で生活するようになってから、日常的にはあまり故郷の方言を使わない生活をしています。それでも、ふと独り言を言ったり、同郷の友人と話したりするときは、自然と故郷の方言になります。

子ども時代に身につけた言葉や方言は、文化や習慣と同じくその人のルーツ、すなわち「根っこ」だと言えるのではないでしょうか。成人するまでに環境が変わると、幼いころ話していた言葉や方言を忘れてしまうこともあるでしょう。私の場合、そうならずに今でも故郷の方言が使えるのは幸せなことだと感じています。

さて、私は現在結婚して、大阪出身の夫と暮らしています。家庭では、お互いの方言である“米子弁”と“大阪弁”を標準語にミックスしたような言葉で会話しています。もし子どもが生まれたら、一体どんな言葉で話すようになるのでしょう。今からちょっと楽しみです。(み)

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第217回 不射之射、不言之言1

昔見た時代劇風の映画に、「音無しの構え」というのがありました。剣の達人のある構えなんですが、剣を相手と交えずして相手を倒す、という技の構えです。映画の中身はとうに忘れてしまったのですが、剣を交えずして相手を倒すという技が、何かすごく奥深い技に見えて、印象に残っています。

「真剣白刃取り」は、誰もがみんな知っている有名な技ですが、この技が万人に受けるのは、剣を使わずに剣を使う相手を倒す、という一種逆説的なところに奥深さを感じるからだと思います。日本には、少しも動かないで、とか、何も持たないで、いつの間にかその技を行う、ということにすばらしさ、奥深さを感じる、という文化があるように思います。 

剣術ではありませんが、中島敦の『名人伝』という短編小説には、「不射之射」という言葉が出てきます。主人公が弓術の名人を目指す物語なのですが、まず、ある師匠に弟子入りして、その師匠と同等の力になるまで修行します。その後、師匠から究極の名人が山奥に住んでいることを知らされ、主人公はその老人を訪ねます。その老人は、弓を持たず、足場の悪いところから頭上高くに舞う鳥を落として見せます。それが、「不射之射」という技です。(白)

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第218回 不射之射、不言之言2

日本語の世界でも、武道と同じく、何もしない、すなわち何も言わないことが評価される文化があります。「沈黙は金」という格言は、もともと英語のことわざですが、日本にもよくあてはまりますね。似たようなことわざに「言わぬが花」というのもあります。どうして日本では、言葉で伝えたいことをきちんと伝えるのではなく、黙って相手に理解されるのを待つことをよしとする考え方があるのでしょうか。

『大和物語』という平安時代前期の短編小説集の中に、次のような話があります。ある帝が、鷹狩りを好み、みちのくの岩手郡(いわてのこおり)で捕まえたすぐれた鷹を「いわて」と名付け、大切に飼っていました。鷹の世話をする係の人が、ある日その鷹を外へ逃がし、見失ってしまいました。そのことを帝に報告すると、帝はただ一言「いはで思ふぞ言ふにまされる」と言ったのでした。さてその意図やいかに。(白)

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第219回 不射之射、不言之言3

「いはで思ふぞ言ふにまされる」とは、ある歌の下の句(七七)です。歌を全部いうと、「心には下行く水のわきかえりいはで思ふぞ言ふにまされる」となります。心の底には、水がわきかえるような激しい思いがあり、私が何も言わないのはその思いを言うよりもっと(あなたのことを)思っているからなのです、ぐらいの意味でしょうか。もともとは恋の歌だったのを、帝は下半分だけ使い、「言はで」と鳥の名前の「いはて(いわて)」をかけて、逃げた鷹への自分の思いを述べたわけです。帝がはっきりと、「鷹がいなくなって残念だ」と述べると、鷹の世話係が罰せられることになります。だから、いつもお役目に懸命だった鷹の世話係に気を遣ってあまり多くを語らず、けれども他人の歌を借りて、自分の悲しくて寂しい気持ちを伝えるところがさりげなくて素敵ですね。(白)

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第220回 不射之射、不言之言4

「不射之射、不言之言2」の話に戻ります。どうして日本では、言葉で伝えたいことをきちんと伝えるのではなく、黙って相手に理解されるのを待つことをよしとする考え方があるのでしょうか。前回の「いはで思ふぞ言ふにまされる」の話はあくまで1つの例ですが、日本では、言葉に対する考え方の一つとして、言葉にするよりも言葉にしないほうが思いが強い、とする考え方があるのではないでしょうか。あまりに深い思いであったり、あまりにすばらしかったりすることは、言葉で表しようがない、ということです。また逆に、言葉にしないことで、思いの深さやすばらしさを表す、ともいえるでしょう。もちろん、こういう考え方は、他の国でもあると思うのですが、日本ではよく尊ばれているように私は感じます。世界に広まりつつある「俳句」も、言葉をとぎ澄まして、言葉にならない部分(余韻)を作り楽しむところがあるように思います。

「不射之射」ならぬ「不言之言」という究極の日本語があるなら、ぜひ会得したいものです。(白)

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第221回 「コンピュータ」?「コンピューター」? 長音の表記1

単語の末尾に長音符号を付けるか付けないかという話です。わずかな違いなので、よく見てくださいね。「ソファー」と「ソファ」、「パーティー」と「パーティ」、「コンピューター」と「コンピュータ」など、どちらも目にすることがありますね。どの単語も、発音上は伸ばして言っていると思うのですが、表記のほうは長音符号が付いていたりいなかったりで、統一されていません。私たちの学校では、外国人が日本語を学ぶための教科書を作っていますが、悩みの種は教科書に載せる言葉の表記を「伸ばすか伸ばさないか」ということです。「ソファー」や「パーティー」は発音どおりに長音符号を付けようと話し合い、そう表記しています。

因みに、この文章を書いている最中にグーグルで検索したところ、次のような結果が出ました。(日本語のページを検索)

ソファー 約 10,900,000 件

ソファ 約 8,280,000 件

パーティー 約 24,600,000 件

パーティ 約 42,800,000 件

このような検索結果は時々刻々と変化するので、皆さんが検索すると違う結果になるかもしれませんが、「ソファー」には長音符号を付け、「パーティ」には付けない人が多いという現時点での結果です。(こ)

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第222回 「コンピュータ」?「コンピューター」? 長音の表記2

やっかいなのが、IT用語です。日常生活で使われる一般的な言葉とは違い、ITの世界には独特の表記法があります。「コンピューター」ではなく「コンピュータ」、「アダプター」ではなく「アダプタ」のように、長音符号を付けない表記が広く使われています。でも、IT関連企業のホームページや製品を見てみると、全ての企業が長音符号を付けていないわけではなく、付けている企業とそうでない企業が混在している状況です。マイクロソフト社は長音符号を付けない派でしたが、2008年7月、今後は長音符号を付けると発表しました。その理由に、「コンピューターが広範に普及するにつれ、末尾の長音を省略する傾向の強い工業系、自然科学系の表記に対するユーザーの違和感が増大している」ことを挙げています。ここで言う「ユーザー」は、ITの専門家ではなく、仕事や趣味でコンピューターを使っている人という意味だと思いますが、その中の一人である私は、IT用語としては「コンピュータ」、一般の言葉としては「コンピューター」だと理解しています。マイクロソフト社の言っている「違和感」であれば、20年近く前にはじめて「コンピュータ」という表記を見た頃には抱きましたが、今では使い分けに慣れてしまいました。(こ)

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第223回 「コンピュータ」?「コンピューター」? 長音の表記3

マイクロソフト社は、「コンピュータ」ではなく「コンピューター」という表記を今後は採用すると発表しましたが、これはかなり広い範囲に影響を及ぼすことだと思われます。IT関連企業の中で、マイクロソフト社と足並みを揃えるところが出てくるのはもとより、私たちの学校にも影響があるかもしれません。例えば、日常使われる日本語を学習する人のために作成した教科書では「コンピューター」という表記をしてきましたから問題はありませんが、IT技術関係者向けの日本語テキストでは、「フォルダ」「プロジェクタ」「ユーザ」「サーバ」のように長音符号を付けない表記を採用したので、今後のIT業界の動向が気になります。ほかにも、私たちの学校を卒業してから外国人生徒たちが進学する学校の中には、「○○大学コンピュータ学科」「○○コンピュータ専門学校」という名称を使用しているところがありますが、「コンピューター」が当たり前になったら、名称変更しなければならないのかと、他人事ながら心配です。

こんな私たち教師の心配とは裏腹に、外国人生徒たちはこう思っているに違いありません。「『コンピュータ』でも『コンピューター』でもいいじゃない。どっちにしろ『computer』の発音にはならないんだから」。(こ)

<参考文献>
・マイクロソフト株式会社News2008年7月25日(JAPAN)「マイクロソフト製品ならびにサービスにおける外来語カタカナ用語末尾の長音表記の変更について」 http://www.microsoft.com/japan/presspass/print.aspx?newsid=3491
・『外来語の表記』平成3年6月28日 内閣告示第2号

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第224回 白雪姫と雪女1

これまで「日本語の美しさ」で2回、比喩表現を扱いました。

日本語の美しさ第159回~162回「肉まんか豚まんか」では、提喩(シネクドキ)について考えました。

関西地方では、「肉まん」は牛肉、「豚まん」は豚肉と区別しているように、「肉」という総称(上位カテゴリー)が「牛肉」という特定の一種類(下位カテゴリー)を指します。

これが提喩(シネクドキ)です。

第187回~第192回「鍋を食べよう」では、換喩(メトニミー)について考えました。

「鍋を食べよう」といった時、容器の鍋を食べるのではなく、その中にある料理を食べることを指しています。

「鍋」という「器」でその「中身」を指す、という比喩表現が換喩です。

比喩表現には、この提喩、換喩のほかにも直喩、隠喩と呼ばれるものがあります。

『新・はじめての日本語教育 基本用語事典』(高見澤 孟監修 アスク)では、以下のようにまとめられています。

比喩:比喩とは物事を表現するとき、イメージしやすいものになぞらえて表現することを言う。

さらに細かく直喩・隠喩・換喩・提喩などに分けることもある。

直喩simile:「~のようだ・~のごとく」などの比況の助動詞や「あたかも・さながら」などの副詞を用いて表現するもので、「まるで幼い少女のように・・・」などという表現。=明喩

隠喩 metaphor:比況の助動詞は用いずに、例えられるものをイメージできるように表現する方法。「人生は旅だ」などという用い方をする。=暗喩、メタファー

換喩 metonymy:一部の特徴から全体を表すこと。「赤帽」で「荷物を運ぶ人」を表す場合など。

提喩 synechdoche:代表的なもので全体を表したり、逆に全体を表す語で一部を表現すること。「パンのために働く」というときに「パン」が生活を指したり、「お花見」の「花」が桜を指すような場合が挙げられる。

では、今回は「あたかも」「まるで」「~のようだ」などの言葉を使わないで、例えるものと例えられるものを直接結びつける隠喩を扱いたいと思います。(イ)

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第225回 白雪姫と雪女2

今回、隠喩に関して、同僚にアンケートをお願いしました。

例えば、「人生は旅だ」といった場合、具体的に何をイメージして「旅」に例えているのかを書いてもらいました。つまり、隠喩を直喩にしてもらったわけです。いくつかご紹介しましょう。

「人生は旅だ」→人生は旅のように、予測できないことやいろいろなことが起きる/紆余曲折だ/出会いと別れを繰り返す/いろいろな出会いがある/様々な門出とゴールを繰り返す/いろいろな風景を見ていろいろな体験を経て目的地(死)に着く/行き当たりばったりだ/苦しいことも楽しいこともある/

「恋愛はドラマだ」→恋愛はドラマのように、刺激的だ/波乱万丈だ/ロマンチックだ/起伏に富んでいる/自分が主人公になり、盛り上がることもあれば悲しみの淵に沈むこともある/様々な展開をする/作ったようなストーリーがある/

「男は狼だ」→男は狼のように、野蛮だ/単純だ/欲望が強い/凶暴な面を持っている/強くあろうとする/鋭い目をしている/女性を狙う/毛深い/獰猛でスキあらば羊のように弱い女性に襲い掛かる/

「あの人は鬼だ」→あの人は鬼のように、容赦ない/怖い/恐ろしい/厳しい/無慈悲で暴力的だ/怖い目つきになる

「あの人(子)は天使だ」→あの人(子)は天使のように、無邪気で愛らしい/純粋だ/優しい/清らかだ/心優しい/無垢で純粋だ/まぶしい笑顔と優しい心の持ち主だ/笑う

「東京砂漠」→東京は砂漠のように、人の関係がかわいている/生きていくのに過酷な環境だ/人々の心がかわいている/苦しいのに抜け出せない/心に潤いがなく孤独でさびしい/オアシスを求める/殺風景だ/潤いがない/ドライで無関心なイメージがある

(イ)

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第226回 白雪姫と雪女3

「天使」や「鬼」など、共通のイメージが強いものはそれほど意見が分かれませんでした。

一方、「旅」にはそれぞれが持つ「旅」のイメージがあり、そのイメージは一つとは限りません。そのため、かなりバラエティに富んだ回答がもらえました。 また、「白雪姫」は「雪のように肌が白い」「雪のように美しい」という「雪」の美しいイメージになぞらえているのに対し、「雪女」は「雪のように冷たい」「雪のように冷淡だ」という雪のマイナスのイメージに例えられています。同じ「雪」でも全く違うものですね。

そうはいっても、例えられるイメージは、ある程度誰もが納得するものでなければ、使えません。

つまり、イメージしやすい類似性が明白でないと相手には伝わらないのです。(イ)

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第227回 白雪姫と雪女4

さて、今回の「隠喩」、何に例えてイメージするのかを大まかにまとめてみると、まず「見た目」が挙げられます。

この間、上級レベルの日本語クラスで新聞記事を読む授業を行ったときに、「銘菓」という言葉が出てきました。その説明をしながら、「銘菓」には隠喩によるネーミングが多いことに気づきました。東京駅でよく見かける「ひよこ」、鎌倉の「鳩サブレー」、岩手の「かもめの玉子」、広島の「もみじまんじゅう」・・・。私の地元岐阜にも「鮎菓子」と呼ばれる、カステラの生地で求肥を包み鮎の形にした有名なお菓子があります。

これらはみな「見た目」になぞらえていますね。

見た目による隠喩には、人の体つきなどを表すものも多いです。「大根足」「鳩胸」・・・。「白雪姫」はどうでしょうか。アンケートではほとんどの人が、「雪のように(肌が)白い」と答えており、やはり「見た目」によるネーミングだというのがわかります。

ただ、回答の中には肌の白さだけではなく、それに加えて、「けがれのない心を持っている」といった心の美しさ・清らかさを書いた人もいました。これは「見た目」ではなく、「性質」ですね。(イ)

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第228回 白雪姫と雪女5

白雪姫を雪に例える理由として、雪のように白いという「見た目」、そして、雪のようにけがれのない美しい心を持っているという「性質」の二つがありました。

「彼は鬼だ」といった場合、鬼のような顔をしている「見た目」の他に、鬼のように「怖い」「厳しい」「恐ろしい」といった「性質」にも例えられます。

私は熱い食べ物が苦手な「猫舌」なんですが、これは「見た目」が猫の舌に似ているのではなく、猫のように熱いものが食べられないという「性質」になぞらえています。

前回、我が地元岐阜の銘菓「鮎菓子」をご紹介しましたが、岐阜長良川では伝統的な漁法「鵜飼」が行われます。

そういえば、「鵜呑みにする」という表現も隠喩ですね。

「鵜飼」は、小船でかがり火を焚き、その光に集まってきた鮎を鵜に飲ませます。鵜の喉には紐が巻かれているため、完全に飲み込むことができず、鵜匠がそれを吐き出させるという、漁法です。

このように、鵜が鮎を丸呑みするところから、「鵜呑みにする」とは、他人の考えなどをよく理解、検討せずに受け入れてしまうことを指します。

彼は彼女の話を、よく理解、検討せずに受け入れた、より、彼は彼女の話を鵜呑みにした、のほうが、状況がイメージしやすく、また簡潔ですね。(イ)

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第229回 白雪姫と雪女6

さあ、最後におさらいしましょう。

比喩の種類を当ててください。隠喩、提喩、換喩のうち、どれでしょうか。

(1)月見そば
(2)おかめそば
(3)玉子焼き
(4)お茶をする
(5)鯛焼き
(6)(大阪の)イカ焼き
(7)白雪姫
(8)赤ずきんちゃん

わかりましたか。答えは・・・、

(1)月見そば(隠喩)
(2)おかめうどん(隠喩)
(3)玉子焼き(提喩)
(4)お茶をする(提喩)
(5)鯛焼き(隠喩)
(6)(大阪の)イカ焼き(換喩)
(7)白雪姫(隠喩)
(8)赤ずきんちゃん(換喩)

です。

比喩表現は、言葉の幅を広げ、類推力を高めるすばらしい表現方法だと思います。

日本語を学ぶ学習者にもぜひうまく使いこなしてほしいものです。(イ)

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第230回 色を使った表現3・「白」1

学生時代、私は趣味でお芝居をしていたのですが、そのころから疑問に思っていたことがあります。それは、「せりふ」はどうして「科白」と書くのかということです。(「台詞」とも書きますが)

「白」を使った言葉には、「科白」の他にも「白々しい」「告白」「明白」など、たくさんあります。

これらの「白」はどのような意味で使われているのでしょうか。今回は、「白」を使った言葉を見ていくことにしましょう。

これまで取り上げた「赤」「青」と同じように、まず「白(しろ)」を辞書(『大辞泉』)で調べてみると、以下のように出ています。

1 雪のような色。物がすべての光線を一様に反射することによって、目に感じられる色。

2 碁石の白いほうの石。また、白い石を持つほう。

3 紅白試合などで、白い色をしるしにするほうの側。

4 何も書き入れてないこと。また、そこに何も印刷してないこと。空白。

5 犯罪の事実がないものと認められること。また、その人。潔白。無罪。

6 ブタの腸管を串ざしにしたもので焼き鳥の一種。

上記を見た限りでは、「科白」「告白」「明白」「白々しい」のどれにもあてはまりそうな意味はありません。

「白」とは何でしょう? (中)

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第231回 色を使った表現3・「白」2

「白」という言葉にはどのような意味があるのでしょうか。「しろ」ではなく「しら」を同じ辞書(『大辞泉』)で調べてみると、前回ご紹介した意味とは異なるものが出てきました。

 

1 他の語の上に付いて複合語をつくる。

(1)白色である意を表す。

(2)色や味などを加えていない、生地のままである意を表す。

(3)純粋である意を表す。

(4)うまくごまかしたり、とぼけたりする意を表す。

2 知らないこと。無関係であること。

3 善良を装っている無頼の徒。

いかがですか。「白々しい」の「白」は1(4)に当てはまりますね。1(2)は、「穴子の白焼き」や「白木」などで使われている「白」です。

知っていることを知らないと言い張ることを「しらを切る」と言いますが、この「しら」は2の意味からきていることがわかります。

しかし、「科白」や「明白」、「告白」などで使われている「白」の意味として納得できるものは、ここにもありません。(中)

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第232回 色を使った表現3・「白」3

「白」という字はいろいろな読み方があります。続いて、「はく」という音読みで調べる(『大辞泉』)ことにしましょう。

1 しろ。しろい。
2 色・印・汚れなどがついていない。
3 明るくはっきりしている。
4 ありのままに言う。申し上げる。
5 さかずき。
6 白居易。
7 (文字分析から)九九歳。

ありました!「明白」は3、「科白」と「告白」は4の意味になります。

ちなみに「せりふ」は役者が発する言葉のことを言いますが、「科白」を「かはく」と音読みして調べてみると、「舞台におけるしぐさとせりふ」と出ていました。さらに「科(か)」を調べると、「俳優の動作」という意味がありました。

「語源由来辞典」によると、「科白(かはく)」は中国語からの借用だそうです。中国語では言葉と動作と両方を意味するものでしたが、それが日本語の「せりふ(役者が発する言葉)」に当てる漢字として用いられたとのことです。

長年の疑問が、ここで解決しました。(中)

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第233回 色を使った表現3・「白」4

ここまでは「白」について辞書の意味を見てきましたが、少し観点を変えて見てみましょう。

「白」という漢字は、どんぐりのような木の実を象った象形文字で、「白」とは柏科の木の実の中身の色を表す言葉だったそうです。現代の私たちが考える「白」とは異なる色だったとのことです。

「しろ」という音の語源には定説がないそうですが、古代の日本語では撚り糸にする前の原糸や染色を加えない生地の色を「素色(しろいろ)」と言っていたそうです。現在、私たちが「しろ」に「純粋」や「何も加えていない」などの意味をつけているのは、ここからきているのではないでしょうか。また、ある事において経験が浅く、未熟な人のことを「しろうと(素人)」というのも、ここからきていると考えることができます。

ちなみに、花嫁が白無垢を着るのは、白が「これから染まる色」だということで、嫁ぎ先の色(家風)に染まりますという気持ちの表れだと言われています。(中)

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第234回 色を使った表現3・「白」5

色に対して人が抱いているイメージは、文化によって多少違いがあっても、一致するところが多いそうです。

「白」の場合は「純粋・無邪気・清潔・真実・平和」などが一致するイメージです。これらのイメージは色がもつ意味にも関係しています。

ただ、「白」は純粋で平和であると同時に活力が乏しい色ということで、日本や中国では、「白」に対して「何もない」(「空白」「頭が真っ白になる」など)という意味があり、「死」のイメージを持つことがあります。前回、花嫁が白無垢を着るのは「嫁ぎ先の色に染まる」ことを意味するとお話ししましたが、この白無垢には生家を出る時に一度「死ぬ」という意味もあるのだそうです。そう考えると、幸せなはずの白無垢も、ちょっと悲しい感じがしてしまいますね。

カラーセラピストの末永蒼生氏は、日本の武道で使われる胴着が白いのは、「白」には「何もない」という意味があることから、集中力を高めるためではないかと分析しています。

「白」は「何もない」意味があるがゆえに、いろいろな使われ方がなされている深い色なのですね。(中)

参考文献
・『大辞泉』松村明 デジタル大辞泉
・『色の名前はどこからきたか』福田邦夫 青娥書房
・『「色彩と心理」おもしろ事典』松岡武 三笠書房
・『心を元気にする色彩セラピー』末永蒼生 PHP研究所
・『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/

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第235回 語種1 -言葉の種類-

単語をその由来によって分類したものを語種といい、日本語には“和語(わご)”“漢語”“外来語”の3つと、それらを合わせてできた“混種語(こんしゅご)”があります。

“和語”は、もともと日本に古くからある言葉、“漢語”は中国から入って来た言葉や日本で漢字の音を元に作った言葉、“外来語”は、漢語以外で他の国から入ってきた言葉やそれらを元に日本で作った言葉です。そして、語種の異なる言葉を複合して作ったのが“混種語”です。

では、次の文を語種で分けてみましょう。

「インターネット上で話題になり、ドラマやバラエティー番組にも露出が増えた。」(朝日新聞)

どうですか。和語は「で」「に」「なり」「や」「にも」「が」「増えた」、漢語は「上」「話題」「露出」、そして「インターネット」「ドラマ」は外来語、「バラエティー番組」は混種語といった具合ですね。

日本語の文には、これらの語種がどのくらいの割合で使われているのでしょうか。国立国語研究所が1956年の雑誌を調査した結果の延べ語数の割合は、和語が54%、漢語41%、外来語3%、混種語2%。1994年には和語36%、漢語50%、外来語12%、混種語2%となっています。和語の減少、外来語の増加が著しいというデータですが、最近は更に外来語の増加に拍車がかかっていると思われます。(た)

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第236回 語種2 -和語-

日本語の語種のひとつである和語は、漢語や外来語に対して、もともと日本に古くからあった言葉、あるいはそこから発展してできた言葉です。“やまとことば(和詞/大和言葉)”とも言います。「くだもの」「笑う」「おおきい」「はたち(二十歳)」「ひとつ・ふたつ・みっつ…」「の(助詞)」「らしい(助動詞)」「つまり(接続詞)」「ゆっくり(副詞)」など、ひらがなや漢字の訓読みで表記するものが多いです。

和語には、基本的に濁音、半濁音(ぱぴぷぺぽ)、ラ行音(らりるれろ)で始まる言葉はありません。また、合成語が作られるときは、語形が変化します。例えば、「待ち続ける」「うれし涙」のように、動詞は連用形がつながり(「~ます」の「ます」を除いた形「待ち(ます)」+「続ける」)、形容詞は「い」を除いた形でつながるというルールがあります。「買い(ます)物」「近(い)道」といった具合です。

江戸時代までは和語の比率が高く、幕末の和英辞書『和英語林集成』では和語74%、漢語25%という構成だったそうです。明治時代に入ると同時に、それまでの日本にはなかった新しい西洋の概念が入ってきて、翻訳した漢語が大量に生まれます。単純な比較にはなりませんが、2002年発行の『新選国語辞典(第8版)』(小学館)では和語34%、漢語49%と和語と漢語の構成比が逆転しています。(た)

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第237回 語種3 -漢語-

さて、今回は漢語を見てみましょう。「読書」「経営」「合意する」「具体的な」など、漢語は中国語由来の言葉と、それらの言葉を元にして日本で造語された音読み漢字の言葉です。

日本語はもともと文字を持っていませんでしたが、5~6世紀頃仏教とともに中国から漢字、漢文が入ってきて、そこからカタカナとひらがなが生まれます。もともとの日本語に漢字を当てたり、ひらがなで示したものが“和語”、漢文の用法をそのまま使ったものあるいはそれらを基に日本で作ったものが“漢語”ということになります。

漢語は、漢字自体が意味を持つ表意文字なので、組み合わせて新しい語を作り出すことが容易にできるという特性があります。『日本語の美しさ「言葉の輸出入」』でも取り上げていますが、明治維新後、近代国家の政治、経済、教育などに関する新しい概念をいち早く取り入れるために、欧米の言語を翻訳して漢語が大量に生み出されます。その中には「資本」「独占」「政策」「代表」「自治」「現実」「義務」「経済学」などのように、中国からの留学生などを通して逆に中国に入っていった言葉も多くあったようです。言葉は、時代の要請を受け、新たな概念や思想、価値観に乗って、異なる言語圏を往来します。(た)

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第238回 語種4 -外来語(1)-

漢語以外で、外国(主に欧米)から入ってきて日本語化したものが外来語です。多くはカタカナで表記し、「グループ」「ガイド」「ファイル」などのように英語が多い(9割以上)ようです。

英語以外では、例えば16世紀にキリスト教と共に入ってきたポルトガル語(パン、カステラ、タバコ、合羽)、江戸時代に貿易や蘭学と共に入ってきたオランダ語(コーヒー、ゴム、ガラス、ビール、ペンキ)などがあります。また、フランス語(マヨネーズ、コロッケ、アトリエ、アップリケ、レジュメ)、ドイツ語(ガーゼ、カルテ、リュックサック)、ラテン語(ウイルス、アリバイ)など、いずれもすっかり生活に定着していますね。(た)

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第239回 語種5 -外来語(2)-

英語圏の学習者には、英語由来の外来語は簡単かというと、これがかえって学習者泣かせになっています。

原因は、まず発音が日本語化していること、そして元の英語の意味とは違っているものが多くあることがあげられます。例えば「スマート(英語では“賢い”)」「ベビーカー(小型自動車)」「ペーパーテスト(紙質検査)」など、発音はなんとか聞き取れても、内容はまるで別物ですから、意味不明の話になりかねません。

加えて『日本語の美しさ「新語その3略語」』でも取り上げていますが、「コンビニ(コンビニエンスストア)」「エアコン(エアコンディショナー)」「パソコン(パーソナルコンピューター)」のように、元の単語を短く省略しているものもあります。そして更に、和製英語があります。「サラリーマン」「オートバイ」「ナイター」「フリーター」「モーニングコール」「コインランドリー」などは、日本で生まれた言葉です。『日本語の美しさ「ホットケーキvsパンケーキ」』でも「シュークリーム」「デコレーションケーキ」などスイーツの中の和製英語を紹介しています。外国人にとっては“日本語”なのです。(た)

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第240回 語種6 -外来語(3)-

前回みてきたように、日本語を学ぶ外国人にとっては、カタカナ語といえども日本語です。覚えなければ解らない言葉なので、話して伝わらないときは、他の言葉に言い換えてみましょう。例えば、「コインランドリー?」「“お金を払って洗濯をするところ”ですよ」といった具合です。

外国人に対してだけではなく、最近は、外来語の急増によって、日本人でもわかりづらい場面がよくあります。行政など公的機関で使う外来語についても“わかりにくい”ということが問題化し、漢字を使った語に言い換えようという動きがあります。文化庁が「国語に関する世論調査」でカタカナ語の使用についての意識調査をしたり、国立国語研究所「外来語」委員会が、公共性の高い場面での分かりにくい外来語をわかりやすくするための方策を提示するとして、平成18年まで4回にわたって具体的な言い換え語(「バーチャル(→仮想)」「コンテンツ(→情報内容)」など)を提案したりしています。(た)

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第241回 語種7 -混種語-

語種の最後は、“和語”“漢語”“外来語”を組み合わせて作った語、“混種語”です。皆さんもいっしょにどんどんあげてみましょう。

(漢語+外来語)住宅ローン、賃金カット、謝恩セール、
(外来語+漢語)サービス残業、アルコール中毒、コピー用紙
(和語+外来語)生ビール、春モデル、赤ワイン、長ズボン、消しゴム、お笑いタレント
(外来語+和語)ビニール袋、ケーキ皿、洗濯ばさみ、化粧直し
(和語+漢語)ふりかえ輸送、焼き加減、冷やし中華
(漢語+和語)集団見合い、事務机、政権争い、星座占い、名刺入れ

どうですか。いろいろ出てきましたか。

「バブル崩壊」「朝シャン」「できちゃった婚」「ゆとり教育」「エロかわいい」「ネットカフェ難民」などのように、時代を語るキーワードもたくさんあります。言葉のもつ柔軟さ、豊かさ、力を感じますね。

「私」「わが家」「日本」「世界」などについて、その時々を切り取って自分流にキーワードを考えるのも楽しそうです。ただし、新しく作った言葉は、コピーライターや評論家など周知し定着させることのできる人でない限り、口から出た途端なんだか気恥ずかしい空気が流れるものです。人に話すときにはお気をつけて。(た)

<参考資料>
・『日本語教育講座 語彙・意味2』千駄ヶ谷日本語教育研究所
・『改訂版国語学概論』2002年 放送大学教育振興協会
・国立国語研究所 http://www.kokken.go.jp/gairaigo/
・「中日語比較」http://www.fsinet.or.jp/~zhangj/bijiaoc.htm

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第242回 これは先生のペンです? 1

皆さんは最近気になる言葉遣いがありますか。この連載の「新丁寧語」の回でも取り上げられた「こちらデザートになります。」「ご注文はカレーとコーヒーでよろしかったでしょうか。」などに代表される、いわゆる“バイト語”を挙げられる方も多いと思います。

私が最近気になっている言葉遣いは、例えば「これは先生のペンですか。」の代わりに「これは先生のペンです?」と、文末の「か」を除いて上昇イントネーションで言うものです。試しに周りのスタッフに尋ねてみたところ、この言葉遣いを聞いたことがある人とない人がいました。また、聞いたことがある人に自分でもこの言葉遣いを使うかどうか、聞いた時どのような印象を受けるか尋ねたところ、「自分は使わないし、聞くと違和感がある」、「自分は使わないけれど、聞いても特に違和感はない」、「聞くと違和感があるが、気づけば自分も使っている」など人によって様々でした。ちなみに私は「自分は使わないし、聞くと違和感がある」派です。皆さんはいかがですか。(み)

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第243回 これは先生のペンです? 2

前回、最近私が気になっている言葉遣いとして、「これは先生のペンですか。」の代わりに「これは先生のペンです?」と、文末の「か」を除いて上昇イントネーションで言うものを取り上げました。

この言い方は文法的には正しいのでしょうか。疑問文で終助詞「か」が省略できるかどうかの基準を文法書等で調べてみました。まずは、述部が名詞の文です。

<名詞文>
1a.定休日は水曜日ですか。 → ×定休日は水曜日です?
1b.定休日は水曜日でしたか。 → ○定休日は水曜日でした?
1c.定休日は水曜日か。 → ○定休日は水曜日?
1d.定休日は水曜日だったか。 → ○定休日は水曜日だった?

丁寧形・現在のもの(1a)は、「か」が省略できないという結果でした。「これは先生のペンです?」という言い方は、文法的には正しくない言い方なんですね。(み)

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第244回 これは先生のペンです? 3

疑問文で文末の「か」を省略できるかどうか文法書等で調べています。前回は、述部が名詞の文に関して調べました。今回は、ナ形容詞(形容動詞)、イ形容詞(形容詞)の文について調べます。

<ナ形容詞文>
2a.その女優は有名ですか。 → ×その女優は有名です?
2b.その女優は有名でしたか。 → ○その女優は有名でした?
2c.その女優は有名か。 → ○その女優は有名?
2d.その女優は有名だったか。 → ○その女優は有名だった?

<イ形容詞文>
3a.そのビールはおいしいですか。 → ×そのビールはおいしいです?
3b.そのビールはおいしかったですか。 → ×そのビールはおいしかったです?
3c.そのビールはおいしいか。 → ○そのビールはおいしい?
3d.そのビールはおいしかったか。 → ○そのビールはおいしかった?

「か」が省略できないのは、ナ形容詞文では名詞文と同じく丁寧形・現在のもの(2a)、イ形容詞文では丁寧形の現在、過去のもの(3a、3b)という結果になりました。次回は残る動詞文について調べます。(み)

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第245回 これは先生のペンです? 4

疑問文で文末の「か」を省略できるかどうか文法書等で調べています。これまで述部が名詞、ナ形容詞(形容動詞)、イ形容詞(形容詞)の文に関して調べました。残すは述部が動詞の文です。

<動詞文>
4a.金曜、飲みに行きますか。 → ○金曜、飲みに行きます?
4b.金曜、飲みに行きましたか。 → ○金曜、飲みに行きました?
4c.金曜、飲みに行くか。 → ○金曜、飲みに行く?
4d.金曜、飲みに行ったか。 → ○金曜、飲みに行った?

他の品詞の文とは異なり、動詞文は「か」を省略する際の制限はないようです。

さて、今まで調べてきた中で、文末の「か」が省略できないとされた文を下記にまとめます。

×定休日は水曜日です?(名詞文・丁寧形・現在)
×その女優は有名です?(ナ形容詞文・丁寧形・現在)
×そのビールはおいしいです?(イ形容詞文・丁寧形・現在)
×そのビールはおいしかったです?(イ形容詞文・丁寧形・過去)

どの文も、文末が「~です?」となっているものばかりですね。補足すると「定休日は水曜日だ?」のように文末が「~だ?」となる言い方も非文法的です。「です」も「だ」も断定の意味が強いので、疑問文の文末としては適さないのかもしれません。(み)

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第246回 これは先生のペンです? 5

「これは先生のペンです?」のように、疑問文で文末が「~です?」となる言い方は、今のところ文法的に正しいとは言えません。けれども最近、徐々にこの言い方を耳にする機会が増えてきたように感じます。もしそうだとすると、理由は何でしょうか。

理由のひとつは、「~ですか。」と文末に疑問を表す終助詞「か」をつけると疑問文であることが明確になるだけに、YESかNOかという選択を強く迫っているような語感が生じるからではないでしょうか。「~ますか。」と言わず「~ます?」を使うのと同じ心理で、相手にやわらかく聞こえるように「~です?」という言い方を選択しているということが考えられます。

文法的に正しくない、この「~です?」という言い方ですが、今後この言い方をする人が増えていった場合、いつの日かこの言い方も正しいとされる日が来るのかもしれません。

巷に溢れている「気になる言葉遣い」ですが、視点を変えると面白い考察ができます。今後、この「~です?」という言い方は果たして市民権を得ていくのでしょうか。興味深く見守っていこうと思います。(み) 

<参考文献>
・『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』株式会社スリーエーネットワーク
・現代日本語文法概説 「42.疑問文」 http://www.geocities.jp/niwasaburoo/42gimonbun.html

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第247回 政治家のアクセント1

ある日の昼休み、先輩教師と私は蕎麦屋で蕎麦をすすっていました。「最近、政治家の発音って変だと思わない?雇用(高低低)って言うよね」「雇用(低高高)ですよね。教育(低高高高)のことは教育(高低低低)って言ってるし」。店内のテレビ画面には選挙演説をする政治家が映っていました。その政治家も、初めだけを高く、後を低く言うアクセントの「頭高型」を頻繁に使っていました。それがどうも耳に付くのです。政治家の話し方というのは概して好感の持てるものではありませんが、独特のアクセントが気になるようになったのはいつ頃からだったでしょうか。標準的な東京語アクセント(アクセント辞典に出ているアクセント)なら頭高型ではない言葉の「頭高化」が進んでいるようです。

かつて、アクセントの問題としてよく取り上げられたのは、「頭高化」の反対とも言える「平板化」でした。平板化は、本来はほかの型で発音するはずの言葉を、初めだけを低く言い、後を高く言う「平板型」に変えてしまう現象を指します。例えば、どんな言葉が平板化するでしょうか。(こ)

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第248回 政治家のアクセント2

アクセントの平板化の例としては、「彼氏」がよく取り上げられたものでした。『日本語発音アクセント辞典』(NHK放送文化研究所)には「高低低」でしか収録されていませんが、若い女の子たちが「低高高」で「A子のカレシ、イケてなくなーい?」などと話しているのを耳にしませんでしたか?同様に「かなり」という副詞も、アクセント辞典では「高低低」ですが、「低高高」という言い方が「かなり」多く聞かれたものです。

ところが最近、当校の日本語教師養成講座の若い受講生たちに聞いてみたところ、「彼氏」も「かなり」も本来の「高低低」で発音すると言うのです。どうして「低高高」である「平板型」を使わないのか聞いてみると、「そういう言い方って、ちょっと安っぽい感じがする」という答えが返ってきました。

もう少し時代を遡ると、「サーファー」などが平板化の例として考えられます。60代の受講生たちに聞いてみると、「高低低低」だと言いますが、それ以外の受講生たちは「低高高高」だと言います。このような「平板化」が起こった理由は何なのでしょうか。(こ)

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第249回 政治家のアクセント3

アクセントの平板化には「仲間意識」「専門家意識」が関わっていると言われています。「サーファー」を「高低低低」という本来の頭高型ではなく「低高高高」という平板型で発音するように変化したのが平板化ですが、「サーファー」に限らず、その言葉を日頃から頻繁に使う人の間で平板化が起こるようです。ある言葉を頻繁に使うのは、その分野の専門家(または専門家的な意識の持ち主)であり、そのような人同士が使うことで、仲間意識が育まれるのだそうです。私自身も、日本語教師養成講座で授業をしている時、「今からモデルをお見せします」の「モデル」や、「このあと、学習者にリピートさせましょう」の「リピート」などは、気を付けないとついつい平板型で言ってしまいますが、本来「モデル」は「高低低」、「リピート」は「低高低低」です。職員室では教師同士、平板型で発音して、仲間意識を育んでいます。無意識のうちに、「私たちって日本語を教えることに関しては、一般の人とは違うのよ」という専門家意識を持っているのかもしれません。(こ) 

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第250回 政治家のアクセント4

平板化アクセントが起こる理由のひとつには、「さらっと言っているように聞こえるから」というのもあるそうです。「サーファー」「彼氏」を頭高型で発音すると何となくその言葉を強調しているように聞こえますが、平板型で発音すると、さりげなく聞こえるという違いがあります。さりげないのですから、発音する時に使うエネルギーもそんなに多くはないでしょう。

それに反して、最近、政治家がよく使う「頭高型」はエネルギーを使います。「雇用」「福祉」「教育」「政策」「マニフェスト」は本来いずれも頭高型ではない言葉ですが、政治家の演説では「頭高化」することがあります。演説は、聞いている人に訴えかけなければいけないのですから、エネルギーが要ります。だから、政治家は頭高型を好むのでしょうか。どこかにこのことを研究した人はいないかとインターネットで調べたところ、読売テレビアナウンサーの道浦俊彦さんが「政治家アクセント」「演説アクセント」と命名して文章を書いていらっしゃいました。「これを使うのは、政治家・医者・教師といった社会的地位が高く、大勢に『演説』をする機会の多い人たちなのです。『頭高アクセント』の方が『中高』や『平板』アクセントに比べてインパクトが強く、演説向きなのです」とのことです。皆さんも是非、政治家の話し方を観察してみてください。(こ)

<参考文献>
・『NHK日本語発音アクセント辞典 新版』NHK放送文化研究所1998年4月25日
・「解説:アクセントの平板化」
・『国語研の窓』第9号 相沢正夫 国立国語研究所 2001年10月1日
・「連載「平成ことば事情 メルマガ編」〈5〉」 道浦俊彦 光村メールマガジン 2009年8月7日

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