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日本語の美しさ9

第391回 伝わらない(1)

道を尋ねたり、次回の予約を取ったり、私達は初めて会った人やあまり親しくない人とも様々な場面でコミュニ

ケーションを取る機会があります。そんな時、相手に伝えたいことが伝わらなかったら、どうしますか。

例えば「明日、3時に来てください」と言ったら、「ん?」という表情が返ってきたとしましょう。聞こえなかったのかなと思ったら、もう一度言いますね。では、相手がお年寄りだったら、また子供だったら、どうですか。

まず、相手の様子に注目して、過去の経験も動員して対応しますね。お年寄りが「ん?」と耳を向けるようなら、大きい声で「明日、3時に来てください。3時!です」。子供が「ん?」とこちらの目をしっかり見たら、「あした、“ここに”3時に来るの。いい?」と言い添えたり、場合によっては片手の3本の指を立てるジェスチャーも加えるかもしれません。

では、相手が外国人(場所は日本で)だったら、どうしますか。

知っている英語を駆使しますか。英語を話せない外国人はたくさんいますから、相手かまわず英語を使っても伝わるとは限りません。

(た)つづく

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第392回 伝わらない(2)

相手に伝えたいことが伝わらないときにどうしますか。

今回は、その相手が外国人の場合を考えてみましょう。例えば「明日、3時に来てください」と言ったら、「ん?」という表情。どうしますか。

日本語教師養成講座の教壇実習では、直接法(日本語だけで日本語を教える方法)での実習授業を行っています。実習の授業中、外国人学習者が「ん?」となることはよくあります。養成講座の受講生は、実習が始まったばかりの頃、こういった場面になるととっさに「明日、3時、来る、来る」と繰り返し、指を3本立てたり、手招きをしたりして、懸命に伝えようとします。外国人学習者は身を乗り出しながらも依然「・・・?」。なんとか意を伝えたい側と、受け止めたい気持ちはいっぱいの側が互いに焦り極まってしまうこともあります。

どうして伝わらないのでしょうか。

(た)つづく

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第393回 伝わらない(3)

お年寄りや子供に伝わらなかったときの対処はできるのに、外国人への対応がうまくいかないのはどうしてでしょうか。何が違うのでしょうか。

お年寄りは耳が遠くなり聞こえづらいのかもしれない、子供は難しい表現はわからないかもしれないという相手についての情報を既に経験上もっていますね。では、外国人は……。相手に伝わらない要因がどこにあるのかを知っている(推測できる)ことが、適切な対応には不可欠のようです。

でも、それはそれほど難しいことではありません。自分の身に置き換えて考えてみましょう。みなさんが外国に行ったときに、その国の誰かに何かを言われて「ん?」となるのは、どういうときでしょうか。

a.何と言っているのか、聞き取れない

b.聞き取れるが、意味がわからない

c.内容に疑問がある(文化が違うため、本当に言葉通りの意味かどうかわからない)

日本に来た外国人も同様です。

(た)つづく

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第394回 伝わらない(4)

日本語をあまり話せない外国人に話しかけて「ん?」という反応が返ってきたときの対応の仕方を考えてみましょう。

「伝わらない③」で見たように、伝わらない原因を、自らの外国語体験からまずは「a.聞き取れない、b.意味がわからない」のいずれかではないかと推測しますね。そこで、次のような対応をしませんか。

a.聞き取れないのかもしれない → 大きい声でゆっくり話す

b.意味がわからないのかもしれない → 簡単な言葉に言い換える/ジェスチャーをつける

では、もう一歩踏み込んで、外国人にとって簡単な言葉とは何でしょうか。

「伝わらない②」の養成講座の実習場面で「明日、3時に来てください」が伝わらないので、「明日、3時、来る、来る」と繰り返した例を取り上げました。「来てください」が伝わらないようだと思って、子供に簡単な言葉で説明するように言い換えているのですが、伝わるどころかますます困惑させることになります。どういうことなのでしょうか。実習生は、簡単な言葉が子供と外国人では違うことに気づきます。

(た)つづく

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第395回 伝わらない(5)

子供にとって簡単な言葉と、外国人にとっての簡単な(わかりやすい)言葉は、どのように違うのでしょうか。

日本語で育っている小さい子供は、動詞の形では「来る」と「来ます」のどちらを先に習得するでしょうか。皆さんはどうでしたか。「来る」「食べる」「行った」などの普通体を先に身につけているのではないでしょうか。丁寧体「来ます」「食べます」「行きました」や「来てください」といった敬語表現は、後から覚えます。

それに対して、外国人が日本語を勉強するときは、社会生活で広く使える丁寧体から学んでいることが多いのです。「来てください」がわからないからといって「来る」を繰り返しても、外国人にとっては決して簡単な言葉に言い換えたことにならないというわけです。「明日、3時に来ます。いいですか」と言ったほうが、外国人にとっては伝わりやすい表現ということになります。

相手に何かを伝えたいとき、伝えたいという気持ちが大切なのは言うまでもありません。そして、相手を知り、相手に合った対応をすることで、わかりやすい伝え方が生まれます。

日本にいる外国人のことを知る機会や、実際に交流する体験を重ねることで、いいコミュニケーションをしたいものです。

(た)

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第396回 くしゃみ(1)

「はくしょん!」―― 花粉症の私にとって、くしゃみをするのは日常茶飯事です。さらに猫、ハウスダスト等々、私のくしゃみを引き起こすものは身近にごろごろしています。この「くしゃみ」という言葉、「はくしょん」という音から変化したのでしょうか……。

一つの説は、梵語を起源としているというもの。梵語に、「長寿」を意味する「クサンメ」という言葉があるそうです。インドではくしゃみをすると命が縮まると考えられていました。そこで、「クサンメ」と唱える風習が広まっていったようです。「クサンメ」という音と意味を漢字に当てはめると「休息万命(くそくまんみょう)」となり、それが縮まって「くっさめ/くさめ」、さらに変化して「くしゃみ」になったと考えられているようです。

このように、くしゃみには「縁起が悪い」というイメージがあったようです。くしゃみをすると、魂が飛び出して死んでしまうという考えがありました。その恐怖を消すために、くしゃみをしたときに呪文を唱えるという風習ができたようです。その言葉が現在の「くしゃみ」につながっているのですね。 

(こ)つづく

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第397回 くしゃみ (2)

くしゃみの語源が梵語にあるという説のほかに、罵倒する際に口にする「糞食(くそは)め」つまり「糞食らえ!」が訛ったという説もあります。これは、江戸時代の庶民がくしゃみをした際に用いていた言葉だと考えられています。「休息万命(くそくまんみょう)」が「休産命(くさめ)」となり、更に訛って「休息良恵(くそくらえ)」になったという説があるようですが、庶民はその音から「糞食らえ」だと考えたようです。前回触れたように、くしゃみは縁起が悪いものという考えがあり、悪霊が人の魂を抜こうとするときにくしゃみが出るとも考えられていたようです。だから、その悪霊に向かって「糞でも食らえ!」と言ったのだと考えると、面白いですね。

昔の人は本気で魂が抜かれると考えたでしょうから、真剣に「糞食らえ、糞食らえ」と唱えたことでしょう。当時、花粉症はなかった(少なくとも病名は)でしょうが、一日中くしゃみが止まらなかったらどうだったか想像するだけで大変そうです。「はくしょん」→「糞食らえ」→「はくしょん」→「糞食らえ」……。今の時代に生きていてよかったと思います。

(こ)つづく

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第398回 くしゃみ (3)

前回、前々回ではくしゃみの語源がくしゃみをした際に唱えた呪文にあるという説をご紹介してきました。そうすると、当初私が考えた「はくしょん」という音から「くしゃみ」に変化したというのは、間違っているのでしょうか。

韓国語で「はくしょん」は「エッチュィ」(日本語に無い音をカタカナで表すって難しいですね)のように発音するそうですが、韓国ではくしゃみをした人に対して「エッチュィ」と言うことがあるそうです。これは親しい人しか対象にならないようですが、くしゃみをする時の音を拾って、相手に言葉を掛けているということですね。この音を拾うという点、「くしゃみ」の語源は「はくしょん」という音にあるという考えと結びつけるのは、相当無理があるでしょうか……。「はくしょん」→「くしゃん」→「くしゃみ」と変化したのではないかと思うのですが。

それにしても、韓国と日本の大きな違いは、現代でも韓国ではくしゃみをした人に対して他人が言葉を掛けるのに、日本ではそういう風習が廃れているということです。韓国ばかりでなく、多くの国でくしゃみの際に他人が言葉を掛けるという風習が見られます。つい最近も、それを体験することがありました。

(こ)つづく

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第399回 くしゃみ (4)

先日、出張でドイツやオランダに行ってきました。それらの国では、他人であってもくしゃみをした人に「Gesundheit(ゲズントゥハイトゥ)」(独)「Gezondheid(ゲズントゥヘイトゥ)」(蘭)と言っていました。どちらの言語でも「健康」という意味です。同行した同僚がアレルギーでときどきくしゃみをしていたのですが、近くの人はアジア人の私たちにも上の言葉を掛けてきました。最近、ドイツではこのような言葉掛けをしなくなっている、と何かの本には書いてあったのですが、そんなことはありません。今でも多くの人が自然に口にします。

これが英語圏であれば「Bless you(祝福あれ)」を使うわけですね。アラビア語圏でもスペイン語圏でも、かなり多くの国でくしゃみの際の言葉掛けがあるようです。

前回までに述べたように、くしゃみは不吉なもの、悪霊が魂を抜こうとして出るもの、などの考えが多くの国にあり、それを防ぐために呪文を唱えた習慣が現代の言葉掛けに続いているのでしょう。では、どうして日本ではそのような習慣が廃れてしまったのでしょうか。他人とかかわりたくないから?他人から「Bless you」と言われたときのほっとするあの気持ち、「気遣ってくれてありがとう」という気持ちを日本でも持てたらいいのになぁと思います。(こ)

<参考文献>
・異なる文化を楽しみながら学ぶ事典「世界のくしゃみ」
・円環伝承「雑学考『くしゃみの呪文の話』」
・ウィキペディア「くしゃみ」

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第400回 連濁(1)

日本語で「やま」に咲く「さくら」のことを何と言いますか。「やまさくら」ではなく「やまざくら」と、さくらの「さ」が「ざ」になりますね。このように、二つの語が結合して新しい語(複合語)を作るとき、後ろの言葉の先頭にある清音が濁音化する現象を連濁と言います。

この連濁は「やま+さくら → やまざくら」の他にも、「にぎり+すし → にぎりずし」「ほん+たな → ほんだな」「ごみ+はこ → ごみばこ」のように様々な複合語で起こります。けれども、「うえ+した → うえした」「おんな+ことば → おんなことば」のように、全ての語で起こる訳ではありません。では、どういった場合に連濁が起こるのでしょうか。 まず前提として、複合語の後ろの言葉の先頭が濁点「゙」をつけられる清音であることが必要です。か・さ・た・は行の音は濁点をつけて濁音にすることができますが、同じ清音でも、あ・な・ま・や・ら・わ行の音は濁音にできません。「やま+さくら」は「やまざくら」と連濁しますが、「やま+もみじ」は「やまも゙みじ」とはなりませんよね。もちろん、「やま+ぶどう → やまぶどう」のように後ろの言葉の先頭が元々濁音の場合も、それ以上濁音化することはありません。

また、語種(※)によっても違いがあります。和語は連濁しますが、外来語は一部の例外を除いては連濁せず、漢語も多くの場合連濁しません。「やまざくら」とは言っても「やま+スキー → やまズキー」「こうざん+しょくぶつ → こうざんじょくぶつ」とは言いませんね。

ただ、「うえ+した → うえした」「おんな+ことば → おんなことば」のように、和語でも連濁しないことがあります。次回以降詳しく見ていきましょう。

(み)つづく

※ 語種について知りたい方は、過去の連載「語種」をご覧ください。

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第401回 連濁(2)

「やま+さくら → やまざくら」「にぎり+すし → にぎりずし」「ほん+たな → ほんだな」のように、和語では頻繁に連濁が起こります。今回は和語で連濁が起こる条件をもう少し詳しく見ていきましょう。

はじめに、前の言葉と後ろの言葉の意味的な関係によって連濁が起こるかどうかが変わる場合があります。「やまざくら」「にぎりずし」「ほんだな」は「山に生える桜」「握った寿司」「本を入れる棚」のように前の言葉が後ろの言葉を修飾しています。このような関係の場合、連濁はよく起こります。それに対して、前の言葉と後ろの言葉が意味的に並列である場合、連濁は起こりません。「上と下」「飲むことと食べること」という意味を表すときには、「うえじた」ではなく「うえした」、「のみぐい」ではなく「のみくい」となる訳です。

また、これとは別の理由が関係することもあります。次の語を皆さんはどう読みますか。連濁は起こるでしょうか。

(1)上蓋
(2)値札
(3)渋柿
(4)合い鍵

意味的には(1)~(4)の言葉は皆、前の言葉が後ろの言葉を修飾しているので、連濁が起こっても良さそうです。けれども、実際連濁が起こるのは(1)の「うわぶた」と(3)の「しぶがき」だけで、(2)と(4)では「ねふだ」「あいかぎ」と連濁は起こりません。これはどうしてでしょうか。

(み)つづく

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第402回 連濁(3)

「上蓋」「渋柿」では「うわぶた」「しぶがき」と連濁が起きるのに対して、「値札」「合い鍵」は「ねぶだ」「あいがぎ」とはならず、「ねふだ」「あいかぎ」のように連濁が起こらないのはなぜでしょうか。複合語の後ろの言葉に注目してみましょう。連濁が起こる場合、後ろの言葉は元々「ふた」「かき」のように濁音が含まれていない語です。一方、連濁が起こらない語の場合、後ろの言葉は「ふだ」「かぎ」のように元々濁音を含んだ言葉だということが分かります。参考に他の言葉でも見てみましょう。

数珠玉(じゅずだま:連濁する)・数珠繋ぎ(じゅずつなぎ:連濁しない)
大通り(おおどおり:連濁する)・大蜥蜴(おおとかげ:連濁しない)
茹で蛸(ゆでだこ:連濁する)・茹で卵(ゆでたまご:連濁しない)
女心(おんなごころ:連濁する)・女言葉(おんなことば:連濁しない)

このように、「後ろの言葉に元々濁音がある場合、連濁は起こらない」という規則性は、19世紀末、北海道の地質調査に従事したアメリカ人の鉱山学者ライマンによって提唱され、「ライマンの法則」と呼ばれています。この規則性は、1語の中に濁音が複数あるのを嫌う和語の性質によるものだと言われています。

み)つづく

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第403回 連濁(4)

前回まで、連濁が起こる条件、起こらない条件について、代表的なものを見てきました。それでは、下記の言葉はどうでしょう。

くじ引き(くじびき:連濁する)・綱引き(つなひき:連濁しない)
澄まし汁(すましじる:連濁する)・味噌汁(みそしる:連濁しない)
梅干し(うめぼし:連濁する)・物干し(ものほし:連濁しない)
い草(いぐさ:連濁する)・七草(ななくさ:連濁しない)
男手(おとこで:連濁する)・受け手(うけて:連濁しない)

連濁が起こる条件を満たしていても、実際には上の例のように連濁が起こらないこともあります。また、これまでに挙げた条件にも例外が存在することがあります。つまり、連濁するかしないかは最終的には語ごとに覚えるしかないということになります。

さて、この「連濁」について、日本語を学ぶ外国人に教えたほうがいいでしょうか。日本語には連濁という現象があるということを知っていれば、例えば「やまざくら」という言葉を初めて聞いたとき、既に知っている「やま」と「さくら」という語から意味が分かるかもしれません。複雑な法則は後回しにして、まずはこのような現象があることは教えたほうがいいと思います。連濁を通して、外国人が日本語の面白さも感じてくれればいいですね。

(み)

<参考資料>
・『日本語教育講座2 音声、語彙・意味』千駄ヶ谷日本語教育研究所 2003
・『新版日本語教育事典』社団法人日本語教育学会 大修館書店 2005
・『日本語の教科書』畠山雄二編著 ベレ出版 2009

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第404回 D言葉とS言葉(1)

いきなりですが、タクシーのお客さんと運転手さんとのやり取りをご覧ください。

「あれ、この道ちょっと違わない?」

「今の時間、おっしゃった道だと混んじゃうんですよねー」

「だったら、そう言ってくれないとさ、違う道に入り込んじゃったと思うじゃない」

「いやあ、最初に道順の話ん時に言いましたよね」

「そんなの聞いてないよ!」

「だから、おっしゃった道だと混むんで廻りますけど、ってお話ししましたよ、ちゃんと」

「聞いてないって言ってるだろ、聞いてないんだよ!」

「いや、ですから、ちゃんと言いましたよ」

「聞こえてないんだからさ、言ったかどうかは問題じゃないんだよ!」

「だったら、どうします?また元の道に戻りますか?」

「そんな時間ないよ、もういいから早く行って!!」

聞いているだけで不愉快になるようなやり取りですが、実はこの展開、運転手さんの発言の中のある言葉がお客さんの感情を荒立てている要因だという指摘があります。それは、どの言葉でしょう?

答えは、「だから」「ですから」「だったら」というもの。しかし、「だったら」については、お客さんも口にしています。このダ行で始まる言葉がD言葉と呼ばれるものです。

(に)つづく

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第405回 D言葉とS言葉(2)

D言葉というのは、「だって」「だけど」「だったら」「でも」「ですから」「どうせ」というように、ダ行で始まる言葉のこと。この記事を書いているのは総選挙前なのですが、ある政党で幹事長と有力政治家が社会保障や定数是正の問題で激論となり、幹事長が「だから」を連発し、有力政治家の発言をさえぎる場面があったと報じられていました。

D言葉は、相手側に上から目線で説教されているような印象を抱かせたり、言い訳がましい響きを与えたりして、相手を感情的にさせたり、相手とのコミュニケーションを面倒に思わせたりするというネガティブなもののようです。

では、どうすればいいのでしょうか。

そこで登場するのがS言葉です。D言葉がダ行で始まる言葉だということは、S言葉はサ行で始まる言葉です。何か思いつきますか。……例えば、「すみません」や、「失礼しました」といった言葉です。

「D言葉とS言葉①」で例に挙げたタクシーのお客さんと運転手さんのやりとりについても、 お客さんがタクシーを拾って道順を話した時に運転手さんが説明したことを、「聞いてないよ」というお客さんに対して「だから、おっしゃった道だと混むんで、廻りますけど、ってお話ししましたよ、ちゃんと」と言うのではなく、「失礼しました。こちらの説明が足りなかったようで」 とまずは返して、その上で道順の説明を繰り返せばお客さんの感情を荒立てずに済んだのではないか、というわけです。

(に)つづく

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第406回 D言葉とS言葉(3)

「だって」「だけど」「だったら」「でも」「ですから」「どうせ」といったD言葉が、言い訳がましさや上から目線といったネガティブな印象を与えるのに対して、「すみません」「失礼しました」といったS言葉は、謝罪や、まずは相手の主張を認める姿勢を示す働きを持っています。

もちろん、非がないのに謝罪するのには抵抗がある、と考える人もいるでしょうが、ちょっとした言葉遣いが相手を逆上させるということに気をつけることが必要な場合もあるでしょう。例えば、クレーム対応をする場合です。初期の対応でうっかりD言葉を使ってしまい、相手を怒らせてしまうと、あとあとに尾を引く場合もあります。こちらに正当な理由がある場合でも、こちらの対応が相手の心証を害したということに対してまずは謝罪して、その上でこちらの主張を伝える、そうすれば相手はこちらの主張を受け入れやすくなり、いい結果をもたらす可能性もあります。こうした姿勢は、相手を立てるという日本的マナーの真髄にも通じることです。

或いは、電車の人身事故が原因で出社の時間や約束の時間に遅れてしまった、といった、もっと日常的な場面でも同じです。遅れた原因は人身事故にあるわけで、決して自分に非があるわけではありません。それでもこうした時に「だって人身で電車が遅れちゃって……」とか、「だから、電車が遅れたって言ってるでしょう」などと声高に言うよりは、「すみません、事故で電車が遅れてしまいまして」と言ったほうが、周囲の人も「それは大変でしたね」と言う気持ちになるでしょう。

(に)つづく

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第407回 D言葉とS言葉(4)

ネガティブなD言葉を使わないようにして、相手に配慮したS言葉を使うようにするということは、ネガティブな発想を転換するということにもつながります。クレーム対応ではなく、普段の生活や職場においても、「だけど」「でも」「どうせ」で始まる言い方をすると、どうしてもネガティブになってしまいます。

例えば、上司からの指示に対して、「でも、3日以内は無理ですよ」と言ってしまうのはNGです。そこで、D言葉を使わないで、「……すれば、4日あれば可能です」というように、何とか前向きな方向で対応できないかを考える姿勢を持つことで、物事の可能性が広がるのではないでしょうか。

こう考えると、D言葉とS言葉というテーマは、単なる言葉遣いの問題ではなく、少し大げさな言い方かもしれませんが、生きる姿勢にもつながる問題を提示しているように思います。

(に)

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第408回 「先生的には?」(1)

先日、日本語教師養成講座のある受講生から「先生的にはどう思いますか」と質問がありました。質問されたときは、「え?先生的?先生的ねえ。かなり違和感があるなあ……」などと質問内容よりも表現に気を取られ、返答にいささか時間がかかってしまいました。

このような表現が注目されるようになったのは、「わたし的には~」という表現が2000年の新語・流行語大賞のトップテンに入賞してからです。

「わたし的には~」は、「わたしとしては~」という意味で、「わたしは」と直截的に言わずに、ぼかして言った表現だと言われています。文化庁の平成16年度の調査には、この表現が取り上げられており、使用状況は以下のとおりです。それにしてもずいぶん使われるようになっています。

男性 16~19歳 46.7(36.7)% / 女性 16~19歳 52.6(46.0)%
20~29歳 32.6(22.2)% / 20~29歳 44.1(16.1)%
30~39歳 29.5( 7.6)% / 30~39歳 25.4( 5.4)%
40~49歳 9.2( 5.1)% / 40~49歳 14.6( 5.2)%
50~59歳 5.7( 2.6)% / 50~59歳 5.2( 5.5)%
60歳以上 7.5( 5.8)% / 60歳以上 7.2( 3.4)%
※( )の数字は平成11年度の調査結果

さて、この「わたし的には」という表現は、避けるべきだという意見も多くあります。ただ、「わたし的には」の「的」ですが、日本語においてとても“元気に”働いています。新たなことばを作る力(造語力)が強く、生産力を持つ要素なのです。今回は、この「的」について取り上げてみます。(よ)つづく

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第409回 「先生的には?」(2)

「的」の付くことばをいくつか挙げてみます。

国際的 経済的 一般的 現実的 論理的

これを見ると「国際、経済、一般、現実 論理」に「的」が付いており、「名詞+的」であることわかるでしょう。では、「的」が付くと、どうなるのか。「名詞+的」が文においてどのように働くかを見ていくと、

この街は国際的だ。

国際的な仕事がしたい。(「-な」を伴わず「国際的仕事」という用法もある) 中村さんは国際的に活躍している。

「-的だ」「-的な」「-的に」となっています。これは、「ここは静かだ。/静かな場所/静かに遊ぶ。」のように「静か(だ)」と同じ語形変化(活用)をします。「静か(だ)」は形容動詞という形容詞の一種です。つまり、「-的」は名詞から形容動詞を作る要素なのです。専門的に言うと、「形容動詞性接尾辞」と言います。

この「的」は日本語の助詞「の」に当たる中国語で、明治期に英語の“romantic”などの“-tic”を日本語に訳す時に使用され(例:浪漫的)、広まったと言われています。

ちなみに中国語で「私の家」は「我的家」となります。そこで、日本語のクラスで中国の学習者が「(これは)日本的習慣(である)。」を「日本の習慣」と読むようなことがあります。この「日本的習慣」の「的」は日本語なのにわざわざ「の」に翻訳したというわけです。(よ)つづく

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第410回 「先生的には?」 (3)

前回の「国際的、経済的、一般的、現実的、論理的」は、国語辞典(『明鏡国語辞典』)に掲載されている言葉ですが、次の言葉はどうでしょうか。

・子供には父親的な優しさと母親的な優しさが必要だ。

・君の発言は教科書的でおもしろくない。

・それはアメリカ的な価値観だな。

・彼はこの業界のカリスマ的な存在である。

・このツアーは料金的にとてもお得です。

・あの新入社員は能力的には申し分ないんだがね。

・血液型がB型の人は自己中心的な人が多いそうだ。

これらは、「国際的、経済的、一般的、現実的、論理的」とは異なり、国語辞典に載りにくい表現で、話し手あるいは書き手が名詞に「-的」を一時的に付けて作った表現だと言えるでしょう(「一時的」は辞書に掲載されています)。このような一時的な造語の例は、かなりあるのではないでしょうか。

次の「自分的」はこれまでの例よりももっと一時的な感じがします。

・このアイデアは自分的には名案だと思う。

これは「わたし的」と言い換えても意味がほぼ同じです。

「わたし的」という表現は、「-的」がこのように“元気に”働いた結果、生まれた表現だと言えるでしょう。(よ)つづく

【参 考】『明鏡国語辞典』北原保雄 編 大修館書店

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第411回 「先生的には?」 (4)

「-的」は名詞に付くだけではありません。

・彼女は、棚から牡丹餅的な結婚をした。

・後は野となれ山となれ的な考えには賛成できない。

・彼の、私は何でも知っています的な態度が気に入らない。

・あの山を登るには、ハイキングに行きます的な服装では危険です。

このように句や文など語よりももっと長い要素に付くこともできます。

住友生命のCMに「未来診断 タイムマシン編」、「未来診断 ビーム編」があります。 このCMは、現在(平成24年11月現在)テレビで放映されていますが、以下の住友生命のホームページでも見られます。

住友生命CMギャラリー

タイムマシン編は人気グループ「嵐」の相葉雅紀さん、ビーム編は女優の北川景子さんがそれぞれ住生レディーと「的な?」「的な。」というやりとりをしています。

〈未来診断 タイムマシン編〉

住生レディー:(タイムマシンに乗って)相葉さんの未来を覗きに行きましょう。

相 葉:(タイムマシンが作動する)あっああああ・・・・。

相 葉:(タイムマシンが消える)的な?

住生レディー:的な。(タブレット型端末を手渡す)

この「-的」の用法は、展開された談話や状況をすべて受けて、「~のように未来診断をする」という意味なのでしょう。それにしても談話や状況まで受けてしまうとは、「-的」のパワーは相当なものだと驚かされます。

これまで4回にわたり「-的」について見てきましたが、いささか働きすぎのような感じもします。今後はどうなるのか。これからも「-的」の活躍に注目していきたいと思います。(よ)

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第412回 「もの」ってなにもの?(1)

みなさんは「『もの』というのは何ですか?」と日本語を学ぶ外国人に質問されたら、何と言って説明しますか。考えてみても、なかなか説明が難しそうで、思わず、「『もの』は『もの』でしょ!」と言いたくなってしまいそうです。今回は私たちが普段よく使っている「もの」という言葉について、考えていきたいと思います。

「もの」という言葉を国語辞典で調べると、最初にこのような説明が載っています。

「世の中の目に見えるすべてのもの。」

う~ん、わかるような、わからないような、といった感じでしょうか。私たち日本語の母語話者は「もの」という言葉を感覚的に理解できるので、このように説明されればなるほどそうか、という気にもなりますが、外国人学習者はそうはいきません。彼らはきっとこの辞書を見たら、「『もの』を説明するのに『もの』が使われている!」と不満を言うはずです。(田)つづく

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第413回 「もの」ってなにもの?(2)

外国人学習者に「もの」という抽象的な言葉の意味を説明するにはどうすればよいでしょうか。国語辞典の説明をそのまま引用しても納得してくれそうにないことは、前回お話しした通りです。

そこで今度は『日本語文型辞典』という辞典を調べてみます。この辞典はある程度の日本語が理解できる外国人学習者が日本語を学ぶ際に参照する辞典です。この辞典の「もの」の部分を見てみると、「1.もの<物体>」とあり、あとはひたすら例文が並べられています。「(1)この部屋にはいろいろなものがある。/(2)何かすぐ食べられるものがあれば、それでいい。/(3)どうぞ、すきなものをとってください。/(4)赤ちゃんは、動かないものには興味を示さない。」といった具合です。学習者が「もの」のような抽象的な名詞を理解するためには、こういった例文がたくさん必要です。学習者は具体的な例文の中から、それぞれの「もの」の共通要素を探し、それを手がかりとして意味を類推をするからです。まず最初に説明ありきの国語辞典とはだいぶ違います。(田)つづく

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第414回 「もの」ってなにもの?(3)

前回は、外国人学習者のための辞典で「もの」を調べてみると、「1.もの<物体>」とあり、あとはひたすら例文が並んでいる、それはその例文を手がかりとして意味を類推するからだ、というお話をしました。とはいえ、やはり例文だけでは理解するのに不十分なので、例文の後に説明が加えられています。「物体、または、時間の過程の中で起こること(できごと)とはかかわりなく存在する何かを、特定せず、一般的にとらえるときに使う。」というものです。考えたこともないようなことですが、なるほど言われてみれば確かにそうだ、と思わせる内容です。

ちなみに、この辞典に載っている「もの」に関する項目は、「1.もの<物体>」だけにとどまりません。「~というもの/~というものは、…だ/~ないものだろうか/~ものがある/~ものだ」など、「もの」の様々な用法について取り上げています。その数、全部数えると、32項目。外国人学習者が「もの」という言葉を自由自在に操るのには相当な努力が必要なようです。(田)つづく

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第415回 「もの」ってなにもの?(4)

前回、日本語母語話者が苦も無く使いこなすことができる「もの」という言葉は、外国人学習者にとっては使いこなすのが難しい言葉であるというお話をしました。しかし私たちは本当に正しく「もの」を使っているのでしょうか。やたらと「もの」を使用することに関して、違和感を覚える、ということが書かれている本がありました。確かに「もの」という言葉は便利な「もの」で、たいていの「もの」を「もの」に置き換えることができます。ただ、このように何でも「もの」に置き換えると、確かにあいまいで抽象的な物言いになってしまい、文章がすっきりしないのも確かです。また外国人にとっても、分かりにくい日本語になってしまうでしょう。

前出の本の中ではたとえば、「主観的なものとみなすべきか、客観的なものとみなすべきか、」というような記述は「主観的とみなすべきか、客観的とみなすべきか」のように「もの」を使用せずに表現できる、とあります。確かにそうです。私たちはもしかしたら「もの」を過剰に使用しているのかもしれません。

普段何気なく使用している「もの」でしたが、今回「もの」を調べることによって、その意味は深く、使用には注意が必要だということが分かりました。

「ものというものは非常に難しいもので、習得するには努力というものが必要なものである。」こんな文章を書かないように、注意をしていきたいものです。(田)

<参考文献>
・『例解学習国語辞典 第八版』金田一京助編 2005年
・『教師と学習者のための 日本語文型辞典』くろしお出版 2006年
・『日本語と時間 ~時の文法をたどる~』 藤井貞和 2010年

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