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日本語教師こぼれ話 2010年

『学生の成長を感じる時』

 教師の一番の喜びは、学生の成長だ。話せるようになっていく学生を見るのはとてもうれしい。言いたいことが言えるようになる、使う語彙がどんどん増えていく、長い文で話せるようになる、敬語が使えるようになる…学生の成長は色々な形で感じることができる。
   先日、ある学生に「日本語が上手になりましたね。」と声をかけた。私が予想した返事は「ありがとうございます。」しかし、その学生の返事に私は感心し、今までとは違う「学生の成長」を感じることになった。その返事というのは、「いえ、まだまだです。でも、おかげさまで少し話せるようになりました。ありがとうございます。」というものだ。
 多くの先生が「日本語が上手になった」と言う学生をよく観察してみると、「まだまだです」「おかげさまで」など、さりげなく相手を思いやったり自分を謙遜したりするような言葉や挨拶を身に付けている学生が多いように思う。「お変わりありませんか。」「先日はありがとうございました。」「助かりました。ありがとうございました。」「とんでもないです」…このような言葉を使っている学生を見ると、なんだか今までとは違った成長を感じてとてもあたたかい気持ちになる。(大濱)

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『みんなで一緒に』

 授業で10分ちょっとの短い映画を見たときのことです。見た後に、学生に感想を聞いてみると、「この映画は本当にさびしいです。」という感情面からの感想、「この映画は環境問題がテーマです。」と現実を意識したもの、さらに「人は、生まれたときは一人で、死ぬときも一人だと感じました。」と、様々なものが出ました。
 実は、この映画には音声がなく、授業の最初に教師から日本語の語彙等を説明する必要がありませんでした。そこで、学生がそのとき思ったことをそのとき持っている日本語力で話し始める形でスタートしたのですが、最初は学生が母語で話したり、日本語でも単語単位でしか言い表せなかったりしていました。が、その学生の本当に言いたいことをクラスメートや教師が一緒に考えていくなかで、最後は日本語で感想を共有できるようになりました。
 「学生には個性があって、その学生の様々な考えを日本語で、参加者みんなで共有していきたい。」「クラスに参加している一人一人が意見を言い、最後には日本語を使ってお互いを理解する。それが日本語力の向上に繋がるのでは・・・。」と感じました。(水野)

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『先生は紫が好きですか』

 「先生は紫が好きですか?」ある日、突然学生にそう聞かれた。
 自分が何色が好きかなんて、大人になってからほとんど考えたことがなかったので、答えに困っていると、彼女はこう言った。「先生は、紫のシャツを3枚ぐらい持っています。それから、昨日の靴下も紫でした。あと、ペンケースも……それから眼鏡も」言われてみると、確かにその通りである。学生同士でそんな話になっていたようであるが、それにしても学生はよく見ているものだ。持ち物だけでなく、口癖や動作のくせも、卒業式なでよくネタにされる。私はいつも「ハイ、日本語で!」と言うらしいが……。
 確かに、自分が高校生ぐらいの時、先生のファッションをよく見ていて、「先週と同じ服だ」なんて思ったり、先生が授業中「え~」と何回言うか、数えたりしていた。でも、ファッションや「え~」くらいならいいが、無意識に口にしている「~っていうか~」「~みたいな」といった表現も、学生はどんどん吸収してしまうので、使い方に気を付けなければ、と思う。
 ところで、それ以来私は紫の服を着ていない。学生に言われてしまったら、何となく着づらくなってしまった。クラスに「国でファッション関係の仕事をしていました」なんて人がいると、緊張してしまうのは自意識過剰でしょうか……?(勝間田)

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『学校の先生と学生』

 「食べさせる」「飲ませる」などの使役形を教える授業で、先生が学生にさせることを話すために、国の中学や高校の厳しかった先生のことを聞いてみました。みんな中国人のクラスでのことです。
 「授業中、おしゃべりをしていたら、教室の外に立たせる」
 「勉強したことを何回も練習させる」
 このへんは日本と同じですね。
 同じようですが、なんだかちょっと違うこと。
 「テストの点がよくない学生は、授業後、毎日(!)先生と面談させる」
 「テストの点が悪いと、グラウンドを走らせる。1600m!」
 だんだん話に花が咲いてきて、先生がすることをいろいろ話してくれました。
 「毎日、山のような宿題を出す」
 「教室の後ろに小窓があり、そこからもう一人の先生がクラスをのぞいている」!
 学生も先生に応戦します。
 小窓からのぞく先生には、小窓にシャツをかけて見えないようにする。
 漢字ドリル練習には、ペンを2本持って、一度に2つ漢字を書く。3本ペンを持つ学生もいました!私もやってみましたが、うまく書けませんでした。
 そういえば、私も高校生のとき、漢字テストの点が悪くて、宿題で何十回も漢字を書かされ、夜泣きながら書いた記憶があります。
 ここで勉強しているみんなは、こんな学校生活を送って、日本へ来ているんだなあ、と学生の後ろに続いている道が垣間見えたようでした。(小川)

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日本留学試験

 2010年度日本留学試験(第1回)の結果が送られてきた。
 ほとんどの学生が送付先を学校の住所にしているため、引き渡しの窓口は学生たちであふれた。そこでは悲喜交々の光景が…、と言いたいところだが、「悲」も多く、不本意な成績だった学生からは口々に「悲惨です」という言葉が。
 翌日、クラスで、「なぜ納得のいかない結果だったのかその理由をよく考えること」と「結果は結果として受け止め、次(11月)の試験で頑張ること」を強調した。いつも賑やかな教室がこのときは静まり返っていて、きつく言い過ぎたかと思ったが、喝を入れるためにも私の思っていることを伝えた。
 結果が思わしくなかった人は「何くそ!」という気持ちを持ち、結果にそこそこ満足した人はそれに胡坐をかくことなく、皆さらに上を目指してほしい。そして、私自身も次に向けて頑張らねばと気持ちを引き締めた。(阪上)

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ワールドカップ

 南アフリカではサッカーワールドカップが開催されています。さすが、サッカーは世界中で人気のあるスポーツだけあって、学生たちも毎晩観戦しているようです。
 自分の出身国が出場しているAさんは、母国の試合があった翌日、ユニフォーム姿で教室に現れました。左腕には、キャプテンマークがしっかりと巻かれています。「Aさん、きのうの試合に出たんですか?」クラスのみんなから質問され、その場で選手になりきり試合を語るAさん。また、残念ながら母国が出場していないBさんは、「日本とクラスメートの国の試合は全部見て、応援します」といい、クラスメートから選手の名前を教えもらっています。微笑ましい光景でした。
 スポーツの大きな大会が開かれるたびに、平和の祭典であるとか、人種や国籍を超えた交流の場であるといったことが言われますが、その意味が少し理解できたような気がしました。(伊藤)

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『学生のまちがい?先生のかんちがい?』

 学生の提出物をチェックするという作業には、いろいろな意味合いがあります。授業中には気が付かなかった学生のまちがいに気付けるというのもありますが、学生の知られざる一面がポロッと垣間見られたり、思わぬコミュニケーションが取れたりできることのほうが貴重なのかもしれません。あるとき学生が作った「私は居酒屋で歌をうたっていました」という文を見て、「『カラオケで』のまちがいですか」とコメントを書いたら、この学生の国での仕事が本当に歌手だった、ということもありました。
 また、余白に書かれている「先生、いつもありがとうございます」の小さい字に元気をもらったり、「最近むずかしいです。大変です」の走り書きに思わず返事を書いたりすることもありました。しかしこの間、「私は先生にはめられました」という学生の字を見て、本当にびっくりしました。いったい何事か。何か私が彼女に悪いことをしたのかと思ってしばらくじっと答えを見つめて考えて、気付きました。彼女がただ単純に「は」と「ほ」を書き間違えていることを。私が余白に「ひらがなはゆっくり確認しながら書きましょうね」と書いたのは言うまでもありません。(石川)

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『雨の遠足』

 先日、毎年4月の恒例のイベント、春の遠足に行ってきました。
 最近は、春の遠足と言えば雨・・・だったので、今年こそはという気持ちと、きっと今年も・・・という気持ち半々でしたが、結果は曇りのち雨。今年も雨の中、バーベキューをしてきました。
 ただ、雨にもかかわらず学習者は元気いっぱいで、大量にあった肉や野菜なども、バーベキュー終了予定時刻にはしっかり食べ終わっていました。
 4月なのに気温も低く、風邪をひいてはいけないということで、クラス単位で解散し、その後、水族館へ行くグループや観覧車に乗るグループに分かれました。
 学習者と一緒に観覧車に乗って、晴れていたら見えたであろうお台場や東京タワー、スカイツリー、横浜などの位置を私がおしえると、学習者は何も見えないのに一生懸命写真を撮っていました。
 雨の遠足のうちの1回になった今回の遠足。でも、雨の観覧車の中でのたった数分の出来事は、少し複雑な気持ちとともに、忘れられない遠足の思い出の1つになりました。(番匠)

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『男のプライド』

 私が担当するレベルに若いAさん夫婦がいました。クラスは違いますが、二人とも成績優秀で、よく勉強していました。
 日、全校で行った統一テスト(実力テスト)で、奥さんがレベルでトップの成績を取り、さすがよくできると感心しました。ご主人のAさんも鼻が高いだろうと思い、翌日、Aさんのクラスで「この前の実力テストでAさんの奥さんがレベルでトップを取りましたよ!」とみんなに言ってしまいました。
 Aさんのクラスメートたちは、「奥さん、すごい!奥さん、すごい!!」と歓声を上げながら、「先生、Aさんは何点?」と聞いてきました。頭の回転が遅い私はつい「そうね、点数ははっきり覚えていないけど、確か奥さんより20点低かったような気がする」と言ってしまいました。その途端、クラスはまた妙に盛り上がり、Aさんは「今日の晩ごはん作りは私です。」と苦笑いをしていました。
 その2週間後、ターム修了テストを行ったところ、今度はなんとAさんが満点を取りました。成績発表の後、Aさんの奥さんは私の近くに来て「先生、今日の晩ごはん作りは私ですよ。」と私にウィンクをしながら笑いました。
 そこで私はやっと気付きました。
 私の配慮不足で、今度こそ奥さんに負けないというAさんの「男のプライド」に火がつき、Aさんは頑張ったのですね。その男のプライド、あるいは男の意地とも言うべきものは素敵にも思いました。 (尹)

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『本物ですか?』

 受験シーズンも終わりに近づいてきた。
 ここ数年、日本での進学を目指す学生が増えてきたような気がする。今学期、担任をしているクラスでも8割以上が進学希望者だ。進学先は、専門学校から大学院まで様々で、専門分野も法律、建築から文学、放送とこれもまたいろいろである。
 先日、そろそろ合格発表という学生から結果を知らせる連絡がいっこうに来なかった。 こういうときはたいてい明暗でいうと「暗」のほうだ。本人も言いにくいだろうと、こちらからはあえて連絡をしなかった。数日後、その学生から「先生、こんな手紙がきたんですけど…」と大学からの手紙を見せられた。学生は特別落ち込んでいる様子ではなかったが、元気はない。やっぱりだめだったのかな、と封筒を受け取った。少し気が重い。
 封筒の中を見ると「合格通知」。え!合格していたの?しかも、難関校に。どうして、すぐに見せなかったんだろうと考えていると、「これ本物ですか?」と学生。大学の印もあるし、書類も一緒に入っているし、冗談とは思えないので「もちろん本物でしょ。合格ですよ。合格!」と言うと、「えー、受かるわけないと思っていたから、偽物だと思ってました。本物だったんですね。あー、よかった。先生、ありがとうございます。」と笑顔で帰って行った。
 うーん、早い時期に「本物」とわかってよかった。入学手続きにはまだ十分間に合う。「合格、おめでとう。」(木島)

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『日本にいる実感』

 昨年、新型インフルエンザの感染が広がってからは、以前にもまして学生の体調や様子に気を配るようになりました。
 初級のクラスで学ぶ欧米系のAさんは、日本に来て1ヶ月余りですが、先日、具合が悪そうに授業を受けていました。心配していたところ、その翌日、Aさんは白くてとても大きい市販のマスクをして学校へ来ました。風邪がひどくなったのかと思い、声をかけてみると、風邪はほとんどよくなったとのことでした。しかし、せっかく風邪を引いたので、生まれて初めて、マスクを買ってつけてみることにしたのだそうです。  「薬局で一番大きいマスクを買いました。」と、Aさんはうれしそうな顔(だったと思います。目しか見えませんでしたが)で言っていました。
 マスクの感想を聞くと、興奮気味に「マスクをして鏡を見たら、思っていた通り変な顔です。でも学校へ来るとき、日本人もマスクをしている人がたくさんいました。日本に住んでいる感じがします。」と言っていました。
 昨年、インフルエンザの報道の中で、「マスクをつけているのは日本人ぐらいだ」という話はよく耳にしていたので、Aさんが珍しがるのは、不思議ではありませんでした。
 しかし、Aさんのうれしそうな様子を見て、このような生活の中の小さな出来事から日本にいる実感を得ていくのだなと新鮮に思いました。
 Aさんが、これからどんな新しい経験を話してくれるのかが楽しみです。(本多)

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『希望の扉』

 4歳の娘が最近ひらがなを書き始めました。ひらがなが読めるようになった時に、書く練習も始めましたが、全く興味を示しませんでした。嫌いになっても困るので、やる気になるまで待った結果、書き始めるのに1年半もかかりました。「み」や「む」がきれいに書けなかったり、「れ」と「ね」が区別できず苦労する様子を見ると、日本語学習者の大変さがわかります。しかし親が代わってあげることはできないので、私は子供を励まし、ほめ、見守るばかりです。
 一方、日本語を学ぶ学生の場合は、こんなに呑気なことは言っていられません。文字が読めないと教科書を使って予習、復習ができないので、まずは読めるようになることが必須です。次に書くこと。当校の初級クラスでは授業開始から約1週間でひらがな50音を学びます。同様に次の週はカタカナを学びます。ほとんどの学生が、この期間で書けるようになりますが、非漢字圏から来た学生の中には、もう少し時間がかかる学生がいます。
 こうした学生には、授業後、専任教員が個別に学生に付いて練習します。学生と一緒に教科書を読み、書く様子を見守り、できたかどうかをチェックします。できたところはほめ、できないところは家で勉強するよう促します。親とは違い、正しくできなくても叱ることはありませんが、時には厳しく言うこともあります。そしてできた時はほめます。親の気持ちと重なるところがあります。私たち教師は親ではありませんが、親に近い気持ちで学生に接していると言えるでしょう
 テレビで見た印象的な言葉があります。“親の仕事は、子供を希望の扉まで導くこと。扉を開けるのは子供だ”という言葉です。
 子を持つ親としてこうありたいと願うことはもちろんですが、教師としても、学生を希望の扉まで導きたいと思います。だからこそ、ひらがな、カタカナの習得から始まる様々な苦労を学生が自分の力で乗り越えられるよう、私たちは励まし、ほめ、あきらめずに見守っています。受験シーズンの今、日本で進学することを夢見て来日した学生が、勉強の成果を発揮して希望の扉を開けることを願う毎日です。(関川)

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